放送礼拝「1年を振り返って」のご紹介です
田中 亨
朝は忙しいです。打合せの終わりとともに、前日夕方以降に各自が溜め込んだ連絡が行き交い、仕事を頼まれます。入試広報業務を担当している僕には、それが毎朝の儀式。そんなだから、ホームルーム中、全校に流れる放送礼拝はBGMと化してしまうことが多いです。
御多分に洩れず、今日も COVID-19 対応策の関係で各所と打ち合わせしたりホームページのお知らせ更新をしたり。そんな儀式が繰り広げられていましたが、引き止められました。その瞬間に心に刺さる言葉があったわけではないです。流れている空気に引き寄せられるような感じ。
正直にいうと、1年中、前の学校に帰りたかった。地元北海道を離れた東京にある学校は、それまでの人生で唯一の私の居場所だった。どの学校に移ったって、悲しいことと楽しいことはあると思うが、あの学校で体験できたことは普通じゃなかった。その学校は「自労自治」の精神として、日常的に仕事があり、勉強が早く、ご飯が多かった。色々とキビシイ学校だったが、五学年もの先輩が一年たちを近くで見守り育ててくれた。だから、大好きだった。親身に寄り添ってくれたのはこの人たちが初めてだったから。次第に同級生のことも家族のように思っていた。
北星余市にきてぐちゃぐちゃになってた心理が整理されていった。友達としてあつかってくれた女の子がいたおかげがあって、母親と父親がいたおかげで元気になれた。成長と呼ぶのは違うような気がするが、家族に、素直な感情を言えるようになってきた。つまり、わがままを言える。ありえないくらい幼稚で、バカなことだと思っていたが、もともと自分がこんな人間だったことも思い出してきた。
先日の話し合いでは、6月中旬から兄の引越後にいく旅行にさいたまが良いとだだをこねた。ダメだって言ってるしょと言われてしょぼくれてたが、いつのまにか、かやぶき屋根と囲炉裡ご飯の一泊15,000円はする旅館に変わっていた。前日のホテルとの位置もバッチリ。ミラクルが起きたのかと思った。うれしかった。
歯医者で怒られて悲しかった日は、大人友達のリカさんが私があげたバスクチーズケーキをめっちゃ喜んでくれて元気出たし、例年は2年連続敗退してたかまくら作り、姉が手伝ってくれて立派なのができた。昨日は母もそこで餅焼いてうまかった。
前の学校に戻りたいならそうするし、やりたいならすればいい。入学した頃は自分も親も嫌いだったけど、今は少し好きになってきてて、辛かったけど楽しくて、良い1年だった。
あらためて手書き原稿をタイピングして読み進める今も変哲ないもののような気もするけど何か違う。考えた僕の中にはそれなりの答えがありますが、それは口にしてしまうとこの文の魔力を失ってしまうような気がしてしたくないしできない。「ん???え?ふつーの文じゃね?」って人もいるとも思うし、それはその人の感性でそう受け取れば良いけれど、僕はいいなーと思ってそれをみんなに伝えたくてただ書いたというブログでした。