北星余市の卒業生でもある、余市教会の西岡牧師。
どんなお話をしてくれたか。おすそわけいたします。
本日の全校礼拝は、余市教会から西岡 知洋牧師に来ていただきました。いいお話でしたので、こちらに紹介いたします。
【聖書】
詩編119章105節「あなたの御言葉(みことば)は、私の道の光 私の歩みを照らす灯(ともしび)」
【説教】
目と目が合った瞬間、怒鳴り合いが始まり、教室が騒然となる。はっきり言って原因はわからない。理由はなんでもよかったのだろうとも思う。やがて激しく罵り合いながら、当事者らは教室を出て行った。ざわつく教室の中で、妙に興奮しているやつや、先生を呼びにこうとする者、あまりの出来事に驚き、いつも以上に静かに下を向き、沈黙するしかない者。
僕が北星余市高校に入学して間もない頃の教室はそんな感じだった。目を合わせれば、からまれる。因縁をつけられる。だから、静かにしている。そうせざるを得ないおとなしい生徒も多かったし、うっかりからまれて恐怖のあまり萎縮したり、巻き込まれないように無関心にならざるを得ないような、どうすることもできない虚しさに似た自己保身をまとっていた自分が教室の隅にいました。
今、振り返ると、互いに言葉を持っていなかったと思う。脅すか、沈黙するか。そうすることでしか存在できないような。言い過ぎのようにも聞こえるかもしれないが、自分を強く見せることでしか自己表現できない。または自分の気配をできるだけ消す方向でしか平穏を得られない。どちらにしてもいびつな方法でしか存在できない。そこに言葉は存在していなかったように思う。そういう意味では教室は非常に居心地が悪かったし、何をしに学校に来ているのかわからないと思うことも多かった。
そんな北星生活でたくさんの言葉に触れていくことになりました。
弁論大会。自分の言葉で表現する。それもただの自己主張ではなくて、自分の言葉がどうやったら聴衆に伝わるかを考えて、言葉を磨く。特に三年生の言葉には自信や力を感じることが多かったように思います。また北星祭の合唱や卒業式の言葉。言葉によって、関係を作り上げる。暴力によらなくてもいい。自分を押し殺さなくてもいい。それとは違う方法がある。伝え合うその喜びだったり、安心を学校生活を通して知らされたように思うし、そうやって自分自身変わっていくことができたように思うんです。
先住民族であるアイヌ民族は「チャランケ/ウコチャランケ」という習慣を持っています。「チャランケ/ウコチャランケ」とは、「お互いの言葉をおろす」という意味だそうです。これは、人と人との間でもめごとが起こった時に、当事者と仲介者が集まって、お互いの言い分を語り合い聞き合い、決着をつける裁判のようなものだと言われています。それは両者が納得のいくまで何日も続けられるそうです。また、語り合う際に、ユカラと呼ばれる物語を用いて、互いの言い分を伝え合うそうです。言葉のある限りを尽くし、二日も三日も議論する。アイヌの人たちはそうやって暴力や武力ではなくて、言葉によって関係を作り上げる知恵を持っていました。そのための言葉を大切に歩んでいるんだそうです。
僕は、この「チャランケ/ウコチャランケ」という言葉の限りを尽くした関係づくりを知った時に、「言葉」がどれだけ大切か。それも人を傷つけたり尊厳を奪うような言葉ではなくて、人を生かす言葉がどれだけ大切かと思いました。そして、そこに北星で学んだ暴力や沈黙ではない、言葉での対話による関係づくりが重なりました。
聖書にも神からの言葉が《道の光》であり、人生の《歩みを照らす灯》として大切にされていることが記されています。この神の言葉も一人ひとりを受け入れて、生かす言葉です。そして、その言葉をイエス・キリストが一人ひとりに届け、その言葉によって一人ひとりの関係を結びあわせていきました。イエスは受け入れられる安心感や、自分が自分であることを大切にできるように変えられていく言葉によって、人生という道が照らされていることを知らせました。そのことが聖書という書物には記されています。
もしかすると、暴力で力を示せば早いのかもしれない。簡単なのかもしれない。また黙ってさえいれば楽なのかもしれない。でもその先に何があるのでしょうか。本当にそんなことで一人ひとりが生き生きと生きていけるでしょうか。
一方で言葉の限りを尽くして分かり合おうとすることは面倒くさいかもしれない。時間がかかるし、やったとしても分かり合えないかもしれない。でも、そこに本当に人が生きる上で大切な力というものがあるんじゃないでしょうか。僕は北星余市高校でそんな言葉の大切さ。自分の言葉を持つこと。誰かの言葉を受け止める営みの尊さを学びました。そして、今僕は言葉を語る働き(=牧師)をしています。それは、北星での経験があるからできていることだと思っています。どうか、言葉を大切に、生きる力をたくさんたくさん蓄えて行ってください。
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