良いものを拾おう、普段の様子 2022.10.6

生徒が話すピンチとの向き合い方。

ピンチはチャンス!

高崎 麻美

みなさん、こんにちは。
気がつけば、すっかり10月ですね。2022年もあと2ヶ月で終わり。あれ、そんなに時間が経っていたかな?という感じです、、
昨日から突然寒くなりだしました。みなさんも体調にはお気をつけくださいね。

さて、今日は先週の月曜日に全校礼拝で話してくれた生徒のお話を紹介したいと思います。
緊張していたようですが、とても聞き取りやすく、しっかりと話してくれました。


お話をしてくれたのは、2年生の男の子です。


今回の礼拝では、僕が経験したピンチな出来事2つと、自己流ピンチの向き合い方についてお話しさせて頂きます。みなさんも自分の身に置き換えて、話を聞いていただけたら嬉しいです。

僕が経験したピンチな出来事1つ目は「東京から札幌、交通費足りない事件」です。
それは16歳の夏、羽田空港から新千歳空港に到着したタイミングで起こりました。新千歳空港から実家のある札幌までの電車賃が足りなくなってしまったのです。不足金が300円。これが僕の全財産だったのです。
なぜこれほどまでに所持金が少なかったのか。その答えは、札幌から東京へと出発した日に想定外の大出費をしてしまったからです。
出発当日に4時間の大寝坊をした僕は、ロスした時間を調節する為に、JRとタクシーをためらうことなく使いまくりました。その結果がピンチを招いてしまったのです。
スマホの充電は切れてしまい、モバイルバッテリーも持参していなかったので、家族や友人に助けを求めることも難しくなりました。
公衆電話を使う手段も考えましたが、「こんな恥を知り合いの前で晒したくない」という変なプライドが邪魔をして、結局断念しました。

そんなピンチな状況で僕が考えた苦肉の策。
それは、自分が持っている私物を他の人が持っている現金と交換するというアイディアでした。

切符売り場で道行く人たちに声をかけ続けた結果、1人のおばあちゃんが足を止めてくれました。そのおばあちゃんが現金300円と扇子を交換してくれました。おかげで無事に実家に帰ることが出来ました。
旅行する時は、時間にもお金にも余裕を持って行動しなくちゃいけないと反省した出来事でした。

続いて僕が経験したピンチな出来事2つ目は「高校中退後、一人暮らしの末、廃人になっちゃった事件」です。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は現在19歳です。この学校には3年遅れの18歳で入学しました。ここからは僕がこの学校に入学するまでの経緯をお話ししたいと思います。

2019年秋、僕は在学していた高校を自主退学しました。当時16歳でした。理由は一言では語りきれませんが、人生に嫌気が差して投げやりになっていたのだと思います。当時は「これ以上自分を演じ続けるのは限界だ」とよく心の中で思っていました。

高校を退学した後は、働きながら一人暮らしを始めました。
その時の部屋探しはすごく苦戦しました。16歳の子どもに部屋を貸してくれるような大人はなかなかいなかったのです。結局、知り合いの伝手を使い、不動産業者を介さないでアパートの大家と直接契約しました。家賃4万2千円のワンルーム。そこが僕の家になりました。

17歳になる頃にはすっかり一人暮らしに慣れてきましたが、その弊害からか、「その日暮らし」のような生活を送るようになっていたのです。自分を縛るものがないので日を追うごとに自堕落な人間へと変わっていきました。
学校を辞めた直後は目標が明確にあって、それを達成する為に行動していましたが、次第に誘惑に負けるようになり、目の前の快楽に逃げ続けるようになりました。

そんな状況を一変させたのは、一通のLINEでした。

「就職内定の通知が来た」

小学生から幼なじみだった人からでした。報告されるや否や、グループLINEでは祝福のメッセージが殺到しました。しかし、その時僕は素直にお祝いすることが出来ませんでした。現実逃避していた自分に気がつき、焦りの感情が湧いてきたからです。
「俺は取り返しのつかないことをしてしまった。」自分と同学年の人達との間に生まれてしまった格差に嘆く毎日でした。やらなければならないことが多すぎて、もはや何から先に手をつけるべきか分からない状態でした。高卒認定の勉強や仕事にも、いつしか手がつかなくなりました。
そうして僕は塞ぎ込んでいき、一日中ベッドから動けないくらいの廃人になりました。一人暮らしの引きこもりなので、24時間孤独の生活でした。「人生、終わった」その時、僕がよく口にしていた言葉です。

自暴自棄になった僕は感情に支配されるように、取り返しのつかないひどい言動を、度々起こすようになりました。その結果、ついには家族にまで見放されてしまいました。気が付けば社会からはぐれ、本当の意味で一人ぼっちになっていたのです。

人を裏切って、裏切られて、僕の心はすさみきっていました。でも、もう一度だけ、信じてみたくなったのです。「人の優しさ」や「思いやりの心」を。「北星余市高校だったら生き直せるかもしれない」僕はすがるような思いで、18歳の時、この学校に入学しました。

ここまでが、僕がこの学校に入学するまでのざっくりとした経緯になります。

ピンチは生きている限り誰の身にも起こりうることだと思います。「ピンチはチャンス」ということ言葉をよく耳にすると思いますが、降りかかってくる全てのピンチに、正面から向き合う必要はないと思っています。そのピンチが「自分を成長させてくれるようなチャンス」だと思えたタイミングで、向き合い乗り越えればいいだけです。
逆にピンチに向き合うことで、自分自身が潰れてしまいそうならば、ピンチから逃げても構わないと思っています。ピンチがやってきた時は、自分自身としっかり向き合ってから、その後の選択を下すことが重要だと思います。


本校に入学するまでに、色んな経験をしてきたのですね。
私は道行く人に声をかける勇気はないし、16歳で一人暮らしをしようと決断することは出来なかったと思うので、その決断をしたこと自体、すごいことだなと思います。
その結果、他の出来事を招くようなことがあったとしても、その経験やそこから学んだことは無駄にはならないので、そんな経験も踏まえて、残りの学校生活をやこれからを出来るだけ悔いのないように過ごしていってほしいなと思います。

そして生徒が話してくれたように、ピンチに向き合わなくてはいけない時は、きっとこれからのみなさんの身に降りかかってくると思います。大事な場面で向き合うか、向き合わないかではその後が大きく変わっていきます。
みなさんはどのタイミングで向き合いますか?そういう場面を何度か経験することで人って強くなっていくんですかね〜。

貴重な話をしてくれて、ありがとうございました!

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