良いものを拾おう、普段の様子 2018.2.7

小西牧師からのお話

今回は余市教会の小西牧師のお話をお届けします。

みなさん、こんにちは。
またまた、1週間あいてしまいましたね~、すみません。
今週の金曜日から3年生は卒業テストがあります。それが終わると、もう、すぐに卒業式が。。本当に早いものです。

さて、本校では毎週月曜日に全校礼拝というものがあり、時々ゲストとして近隣の牧師さんをお招きし、お話をしていただきます。
1月29日、余市教会の小西牧師が来てくれたので、今日はそのお話をみなさんにもお届けしたいと思います。

小西牧師は、4月から異動で余市を離れます。これまで10年間、どんな時も本校のために祈り続け、そして全力で支えて下さいました。
生徒たちからも「小西牧師のお話は面白いしためになる」と定評があり、今では余市教会は本校の生徒たちが気軽に足を運べる居場所となっています。
学校の職員室に来た時も生徒からあだ名で呼ばれていて、こちらが「失礼なのでは、、」と内心ドキドキしていても、小西牧師は笑顔で「こんにちは~」と返してくれていました。どんな時も笑顔で優しい雰囲気も持っている小西牧師。生徒から親しまれている理由もよく分かるし、私自身も顔を見ると自然と笑顔になれました。
余市教会の牧師としては最後のお話になりますが、小西牧師には今後も是非お越しいただきたいです。
では、小西牧師のお話をどうぞ。


僕がはじめてこの学校に来たのは10年前のことです。挨拶をするために、職員室に入りました。
先生たちに「今度、余市教会の牧師としてきた小西です」と挨拶をすると、

「牧師、だれあんた」

そんな、しらけた雰囲気がそこに漂っていました。あの時の雰囲気は、今でもはっきりおぼえています。正直言うと、その時に僕は思いました。

「なんやねん、この学校、まともにあいさつぐらいできひんのか。」

でも、あとで振り返ると、それだけ余市教会と北星余市との関係がつくられていなかったんだなあと思わされたのです。余市教会は、キリスト教を土台にして教育を行うこの北星余市を支えたい、共に歩みたい。そう願いながらも、具体的には何もできていなかったのです。

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それから、僕は、教会の人たちと話し合って、何ができるかを考えました。
まずは、何よりも顔と顔が見える関係をつくる、そこからしかないと思い、卒業式や入学式は必ず出席し、バスやいろんなものを借りに行ったり、学校に行く機会をたくさんつくりました。教会では、年2回、北星デーという企画をし、高校生たちや先生たちにお話をしてもらい、教会のメンバーや地域の人々が今の北星余市の姿を知る機会をつくっていきました。少しずつ、何かが変わることに期待をして、取り組んだのです。でも、そんなに簡単に何かが変わるわけはありません。
打っても響かない、そうした現状に、僕はあきらめかけて、こう思っていた時がありました。

「なんで誰もわかってくれへんねん。」「俺なんのためにやってるんかな。」「こんな学校つぶれてしまえ」。

あの時の僕は、いろんなことが嫌になっていました。けれども、わたしが諦めかけていた時に、僕のことをもう一度思い直させてくれた人々がいます。

それは、ここにいる高校生の皆さんであり、皆さんの先輩たちです。学校で僕の姿を見て、「あ、小西だ」と声をかけてくれたり、お店で僕を見かけると「余市教会の牧師さんだ」と声をかけてくれたり、物を運んでいると「手伝いましょうか」と気持ちよく声をかけてくれたり、みなさんにとっては何気ない一言で、おぼえてもいないかもしれませんが、僕にとっては本当にうれしい一言でした。
諦めかけていた僕を、「もう一度やりなおしてみよう」という思いにさせてくれたのは、そうした皆さんの何気ない姿だったのです。

この10年間、北星余市とどうしたら共に歩めるのかと考えて、苦しい時もありました。でも、その苦しみを何とか耐えて、諦めかけながらも、さらに続けていると不思議と関係がかわっていきました。先生たちとの関係も変わっていきました。
いつの頃からか、あのしらっとしていた、職員室に行くと「こんにちは、いつもお世話になっています」と先生たちが声をかけてくださるようになりました。

「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をうむということは、希望はわたしたちを欺くことはありません。」と今日の聖書に書いてあります。

何かに真剣に取り組もうとすると苦しみや悩み、苦難が生まれます。そして、それでも取り組み続けると忍耐する、耐える必要が出てきます。それでも、あきらめずに忍耐しながらも、歩んでいくと、やがて練達をうむ、練達とは熟練していくということです。そして、その練達からやがて希望が生まれてくると聖書は言います。

この10年間、僕は教会という場所が学校でも家でも下宿でもない、高校生たちの居場所になれたらいいなあと思ってきました。
そして、今、ほぼ毎週日曜日に高校生たちが4人、5人、6人と来てくれています。
「小西さん、ご飯おごって」とたかってきたり、「どこか連れて行って」と言ってきたり、「ちょっと、話きいて」と電話してきたりもします。

ある時、一人の高校生が言いました。
「教会が自分の居場所になっている。」

その言葉を聞いて、本当に僕はうれしかったです。「ここに希望がある」「希望が生まれたな」と思わずにはいられませんでした。そうした高校生たちの姿を見ていると、みなさんと出会えたこと、この余市で10年間、牧師として働けたことに、ただただ感謝です。

僕が余市教会の牧師として、この場に立つのは今日が最後です。4月からはこの余市を離れることになり、札幌で教会の仕事をすることになります。みなさんと日々の関係をつくることはできなくなります。

これから、さらに余市教会と北星余市との関係が変わっていくことに期待していたのに、そこにいることができないのは残念です。でも、僕は安心しています。なぜなら、次に来る余市教会の牧師はみなさんの先輩だからです。きっと、さらにみなさんや学校との関係を深めていけると希望をもっています。
そして、僕も全力で外からこの学校を支えていきます。だから、みなさんも、神様から与えられた「今」を、「命」を全力で生きてください。そこに希望が必ず生まれてくるはずです。


共に歩もうとしてくれ、嫌になり諦めかけていた時期もあり、でもそんな時に生徒の何気ない一言などでやりなおそうと思った小西牧師。
そして、「教会が自分の居場所になっている」という、とても嬉しい言葉を言ってくれた生徒。
小西牧師の諦めない心や、北星余市を思う気持ち、そしてそれを行動にうつすこと。様々な思いや気持ちが重なり、今の余市教会と北星余市の関係が出来上がったのだと思います。こうして、北星余市の事を思い、考えてくださる方が居ることは本当に有難く嬉しいことです。そして、生徒にとっても学校とはまた違う居場所が外にあることは大きかったと思います。
小西牧師も言っていたように4月からは札幌に異動になりますが、これからもこの関係を大事に大切にしていきたいと思います。

「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をうむということは、希望はわたしたちを欺くことはありません。」と今日の聖書に書いてあります。

何かに真剣に取り組もうとすると苦しみや悩み、苦難が生まれます。そして、それでも取り組み続けると忍耐する、耐える必要が出てきます。それでも、あきらめずに忍耐しながらも、歩んでいくと、やがて練達をうむ、練達とは熟練していくということです。そして、その練達からやがて希望が生まれてくると聖書は言います。

私自身が印象に残った言葉でもあります。
もし、なにか辛い事があった時に、ふとこの言葉を思い出してみてくださいね。そうしたら、また見えてくるものや感じる事があるかもしれません。。
小西牧師、本当に本当にありがとうございました。
礼拝が終わった後に、どうやら生徒に囲まれていたようです(笑)
生徒からも愛されている小西牧師でした。本当に素敵です。

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