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和歌山県精神保健福祉センター 小野善郎

和歌山県精神保健福祉センター 小野善郎

小野善郎氏

1.学校と授業の印象

近年は生徒数が減少し、学校自体は空き教室が増えるなど寂しくなる傾向はあるが、それでも生徒たちに活気があり、とりわけ休み時間の職員室に集まる生徒たちの元気な姿や教師たちとの交流を見ていると、生徒数の減少を感じさせないばかりか、学校全体が活気にあふれているようにさえ感じられる。生徒数が少なくなると、学校全体が静かになって、人の存在が薄くなりがちだが、北星余市はとても人の存在感が強い場所だと感じた。

元気な生徒たちは、授業ではともすれば不規則発言や無駄な動きをすることで授業の進行の妨げになりかねない。たしかに視察した授業のなかにも、一部の騒がしい生徒たちが口を挟むことでなかなかスムーズに授業が進まないような場面は見られたが、だからといって授業が成立しないというわけではなく、そんな生徒たちの相手をしながらも授業は進んでいくところが不思議である。騒がしいけれども崩壊しない授業も北星余市の教育の特色といえるだろう。

ほとんどの授業は独自のプリントを使い、どの生徒にもわかるような授業内容になっているので、「レベルが低い」といわれるかもしれないが、教師と生徒との相互作用の中での学びという点では、とても効果的な教育だと感じる。多様な生徒たちと授業を通して交流することは、単なる知識の獲得だけにとどまらない、学びの体験となっていると感じた。


2.修学旅行実行委員会の議論

授業の視察後、2週間後に迫った修学旅行に向けて、2年生の修学旅行実行委員会の会議の様子を見せてもらった。基本的に希望者は実行委員になることができるので、今年は24名ほどが委員になり、そうなると生徒の代表というよりは全員で修学旅行を作り上げているというような感じに近い。志願者の集まりであったためかもしれないが、実行委員会では熱のこもった議論が展開されていたのに驚いた。会議では自由行動の日にホテルに戻る門限を何時にするかで議論は白熱し、私たちが同席した時間の中では決着がつかなかった。

ここで印象に残ったのは、たしかにやんちゃで活発な生徒の発言が目立ったものの、一見おとなしく距離を置いているような生徒も、要所要所ではきちんと発言し、それを他の生徒たちがしっかりと聴いていたことだった。声の大きな生徒の意見に流されるのではなく、出席している一人ひとりの意見を尊重しながら、合意を形成していく議論の過程は、とても素晴らしかった。

自分たちのルールを自分たちで決めることは大切なことであるが、それは一朝一夕にできるようになるものではない。それは入学して以来、毎日の学校生活だけでなく、数多くの学校行事をとおして習得してきたもので、北星余市の教育成果のひとつといえよう。


3.生徒たちを支える大人たち

道外からの生徒たちが生活する寮下宿を訪問し、生徒たちの生活の場を見せていただき、管理人さんからお話をうかがった。寮下宿は男女別になっていて、それぞれ1か所ずつ訪問したが、居室や食堂などのハード面だけでなく、管理人さんの人柄やポリシーによって、それぞれ特徴があり、決して画一的ではないところが、北星余市での高校生活により深みを与えているように思われた。それぞれの寮下宿には特有の文化があり、それは管理人さんのもとで生徒たちが築きあげたもので、クラスとは別の居場所となっている。

毎日朝早くから朝食と弁当を用意し、夕食も提供するのはたいへんな仕事であることは言うまでもない。長期休暇中は閉鎖するものの、学期中はほとんど休みなく働き続けるのは、今の時代には「割の合わない」仕事に見える。ベテランの管理人さんたちは、そこそこの年齢になっていることも考えれば、体力的にもかなりしんどいだろうと思う。それでも訪問した寮下宿の管理人さんたちは、この仕事が好きだから辞めたいとは思わないと言い切った。

興味深かったのは、男子寮の管理人さんは男子を扱うのが得意で、女子寮の管理人さんは女子の扱いに慣れていて、男女別のプロ意識のようなものがあることだった。思春期の生徒たちを受け止めて、ときには厳しく接することもある管理人さんは、親代わりであるのと同時に、親以上に重要な役割を担うこともある。管理人さんたちには、ただ単に部屋と食事を提供するだけではない、生徒たちの育ちにとても重要な役割を果たすプロフェッショナルなパワーを感じた。

このような寮下宿があることも北星余市の教育の重要な要素であることは間違いない。


4.生徒会執行部との意見交換

視察2日目の夕方には、ちょうど任期を終えたばかりの前期生徒会執行部の生徒たちと意見交換の場が持たれた。さすが半年にわたって、ほとんど毎日、遅くまで議論を尽くして生徒会活動をしてきただけあって、自分の意見を持ち、それを表明するのは見事であり、頼もしくも感じた。

生徒会活動の話として印象に残ったのは、「学校が楽しい」と思えるように自分たちが何をするかを考えてきたということだった。自分たちの学校を自分たちでいかに楽しい場にするか、言い換えれば自分たちの安全で安心できる居場所を作ろうとしたということだ。学校生活を学校の規則や教師に委ねるのではなく、自分たちで作り上げようとする生徒会の役割が本校の大きな特徴といえよう。

執行部のメンバーの考えはそれぞれで、必ずしも生徒会長がトップとしてリードするというよりも、ここでもお互いの意見をしっかりと聴いた上で、全員が対等の立場で話し合って決めていくというスタイルが貫かれていた。つまり、生徒会としての責任を会長に委ねるのではなく、一人ひとりの役員がしっかりとした責任感を持って話し合っている姿が見られた。

私たちの質問にとことん答えてくれたことで、意見交換会は2時間以上の長丁場になったが、最後まで集中が途切れることなく、とても中身の濃い時間を持つことが出来た。私たちにとってもとても興味深く有意義な時間だった。


5.提言-北星余市の可能性

北星余市の教育現場を視察して、ここには「育ちの場」としての条件が整っていると感じた。一人ひとりの生徒の存在が承認され、授業だけでなく学校生活のさまざまな活動に参加する機会が保障され、そこでの対人的な交流をとおして成長する、そんな不思議な化学反応を起こす「反応炉」のような場だと思った。単に安全で居心地の良い「居場所」ではなく、余市町という地域とともに子どもたちがそれぞれの個性に応じて成長するダイナミックな場になっていると思う。

北星余市の生徒たちの姿を見ていると、そこに平成20年からの学習指導要領が中核的な概念とした「生きる力」が具現されているように思われる。もし、学校教育が「生きる力」を追求していくとすれば、それは個々の教科科目の履修だけでなく、一人ひとりの生徒の参加と対人交流も非常に重要な要素となるはずである。それはテストの点数で評価できるものではなく、授業での教師とのやり取り、学校行事での生徒同士の協力、日頃からの話し合い、それらがすべて高校教育になくてはならない要素であり、それらが総合して生きる力が獲得されていくものである。

北星余市が本来の高校教育の役割をしっかりと果たし、一人ひとりの生徒の成長の場として貢献しているとすれば、ここの教育はもっと高く評価されるべきで、全国から第一志望として生徒が集まるようになる可能性は十分にある。残念なことに、このような北星余市の教育の成果は、進学校の学力や偏差値、大学入試の実績のように数値化して示すことができないので、どうしても過小評価されがちである。目に見えにくい教育の意義や役割について、さらに積極的に発信し、理解を広めていく必要があるだろう。

北星余市の卒業生は入学難易度の高い大学に進学することは稀であるが、その一方で大人として生きていく大きな可能性を持って巣立っていくのではないだろうか。高校3年間に自分をしっかりと見つめ、多様な生徒たちと議論し、さまざまな活動に参加して、目標に向かって進んできたことは、大人として生きていく基盤になるに違いない。それは学歴だけで獲得できるものではない。「生きる力」を育む北星余市の教育に、これからも期待し続けたいと思う。

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