みんなで取り組む教育実践
みんなで取り組む教育実践
青砥 恭
青砥 恭氏
昨年12月、数年前から連載が続いている朝日新聞(埼玉県版)の「はぐくむ」というコラムに北星余市高校の取り組みについて次のような文を書いた。
2019年の晩秋の数日、北海道の日本海に面した余市町にある北星学園余市高校からアドバイザーを依頼され出かけた。北星余市高校は全国から、さまざまな理由で高校を中退、または中学から不登校で高校入学を果たせなかった、そんな生徒たちが、親元から離れ、余市町内の「下宿」に寄宿しながら通う、全国でも知られた高校である。北星余市高校はいわゆる普通の学校とかなり違う。通常の高校の教育活動は、授業での学習活動と放課後などで行われている特別活動(部活動や生徒会活動など)から成り立っている。北星余市高校はそこまでは同じだが、プラスして、毎月のように行われている「学校行事」があり、生徒たちがまったく他人である「下宿」のおばさん、おじさんと家族のような関係をつくりながら学校に通う。
一番大きな違いは、生徒と教員の関係性づくりにある。授業が終わると、生徒たちは職員室にぞろぞろ移動する。教員たちとおしゃべりをするためである。訪問した日の夕方、修学旅行の担当教員と実行委員の生徒たちとのミーティングの場を覗いた。沖縄への修学旅行だが、那覇市での夜の散策の後、ホテルに戻る時間を何時にするか、何時間もかけて話し合っている。教員と生徒、生徒間の意見の違いを互いに配慮しながら議論していた。
北星余市高校は生徒の「居場所」でなければならない、そのためには多くの行事が用意され、その行事を実施するためには、教師たちは徹底した生徒たちとの話し合いをいとわない。そんな文化がこの学校には成立している。この学校に到達するまで、それまでの学校生活で受け入れられなかった若者たちが、自分を受け入れる教師たちや仲間たちを発見する場になっている。卒業式で生徒たちは競争の中で疲弊し、苦しかった過去の記憶を思い出しながら、涙しながら精一杯の晴れ着でのぞむ。
日本中で孤立が若者たちを追い込んでいる。いつでも相談でき、悩みをぶつける友人や大人をもっていない。北星余市高校は、そんな若者のために、生徒の主導で交流の場をつくり、自律性の感覚を育て、「自分は生きている」という効力感の形成を目指しているのである。
本当の教育とは何か、「教育を人格的接触」、生徒と教師は「敬意と承認」の関係としたプラトンを思い出す。
朝日新聞に書いたのはここまでである。以下はもう少し、書き足らなかったことをまとめたい。
一つは、今の学校の役割についてである。
本来、後期中等教育(高校教育)は、学校から仕事へという移行期を保障する機能を持つ。近代の学校制度は、国民国家の形成と共に社会の統合や文化の継承を目指して作られたが、その後、子ども一人ひとりの発達と社会的な自立を担うという目的をももつようになった。しかし、不登校や高校中退など、早期に学校教育から離脱する若者たちにとって、学校は社会と若者たちをつなぐという「移行支援」機能を果たすことができないことになる。その理由の多くは、貧困による親の経済資本、社会関係資本、文化資本の不足という「社会的格差」によるものである。高額な費用が必要な日本の教育では、経済資本と社会関係資本の乏しい世帯の若者が社会とつながらないのである。しかも、家庭に居場所としての機能がない子どもたちは同時に学校の中にも居場所が見つけられない傾向がある。
学校と家庭に居場所としての役割がなければ孤立が進み、構造的に子どもたちの中に絶望感や無力感をもつくり続けることになる。
しかも、市場原理を背景にした競争的な価値観に支配された学校は、官僚組織の一つでもあって、①世代間の文化継承&社会統合(階層間の移動)、②社会参加をめざし、人格的な成長(学校から仕事への移行)という使命を持つはずだが、その役割を担った教師からの監視や抑圧的なまなざしから自由にはなれない。「制度化された『権威』が教え手である教師に委任」(『再生産』ブルデュー&パスロン)しているということになる。
日本の学校における他者との終わりなき競争は、子どもたちの中で排除される子どもたちを生み、その対立が混乱を生む中で、逆に教室の秩序の維持するために、教師と子どもの間、子ども同士に、(教える⇒学ぶ)(評価する⇒評価される)という地位と支配・被支配という関係性をつくるのである。その中で、疲弊した子どもの中で不登校の子どもや生徒が増え続け、実際はどうあれ、「オールタナティブとしての通信制高校、フリースクール」に生徒が集中する現象が生まれているのである。
子どもの居場所は、「子どもの居場所という言葉は子どもが能動的に集まり、群れて心身を解放し、自治的、創造的に企てをおこなう時間・場所という本来の意味よりも、保健室や不登校のサポート施設のように、受容され、安心できる緊急避難の場、疲労を癒すために心のケアが求められる場所としての意味が強くなっている。」(「地域社会における子どもの居場所づくり」 佐藤一子『岩波講座 現代の教育7』)
北星余市高校では生徒の居場所論がよく語られる。私たちのNPOもさいたま市内に、たまり場と名付けた居場所を開設して10年になる。やはり、その居場所は2つの機能を持っている。①子どもや若ものたちに、多様な体験が可能な場を保障することで他者(社会)との関係性を育てること、②他者から受容されない子どもたち、他者との関係性、まなざしに耐えられない子どもや若ものに避難の場を保障することである。
さらに、学校システムから排除された生徒たちのネットワークを育てるには、生徒主導の自律性の感覚を育て、自分は自分の行動の主人公という効力感を形成していくしかない。その場は仲間からの認容と共感を保障するあたたかい交流が日常的に必要である。
私たちのNPOも10年間、居場所づくりの中で、居場所とは避難、受容、ケア、安心安全だけではない、多様性の認識、自己認識、多様な価値を承認すること、そのために多様な価値を持つ人間が集い、協同の体験をする場と考えてきた。まとめるとこうなろうか。
北星余市高校の課題は、やはり、移行支援としての高校教育をどの作り上げるか、多様な困難を経験し、北星余市高校にたどり着いた生徒たちに、どんな力を育て、どのように社会につなぐか、そのためにどのような学校づくりをこれから目指すか、ということになろう。