理念や指導方針
58期の皆さん。今日で一つの区切りを迎え、いよいよ高等学校を卒業する時となりました。つい先ほど、皆さんが受け取った卒業証書に、どのような思い出が浮かんでくるでしょうか。
3年前、入試担当をしていた僕は、全国での相談会に出向き、多くの保護者と会いました。我が子の現状に悩み、途方に暮れるような話もありました。もちろん、前向きな気持ちで選んでくれた子どももたくさんいました。いろんな相談があったのですが、今年の卒業生は、そんな入試担当として直接話を聞く機会が多かった学年です。入学前に家庭訪問をした子もいました。子どもを学校見学に誘うためのシナリオを一緒に考えたこともありました。そのような相談をいくつもしてきましたが、最後に「北星余市でやってみる」と決断したのは紛れもなく皆さん自身です。親は、心配することと子どもの決断に手を貸すくらいしかできないわけですから、今日 卒業の資格を得たのは、皆さん自身が人との関係や勉強など頑張ってきたことで得られた証です。そんな皆さんが、この高校生活で得たものをこの先の人生にどのように反映させていくのかとても楽しみです。
3年前、皆さんの高校生活スタートと時を同じくしてコロナ騒動が一段落しました。青年期の前半でもある中学校時代をコロナ禍で過ごした皆さんでしたので、きっといろんな期待を持って入学してきたのだと思います。全く新しい環境に最初は戸惑いもあったかと思いますが、様々な制限が縮小されたり解除になったことから、学校の中で活発に動くみんなの姿が徐々に見えるようになりました。
特にこの学年は体を動かすことが好きだという人が多かったようで、休み時間が終わっても体育館でボール遊びをして、何度も授業に遅れる人が数名いました。そんな現状に対し、担任から「授業遅刻が多いので体育館出入り禁止にするぞ」と注意を受けたこともありましたよね。そんな報告を受けたときに「おいおい」と呆れた思いと同時に、「ずいぶん可愛らしいな」とほのぼのとした思いも実はありました。
また、担任の先生に随分と上手に甘えているような発言や様子もたくさんありました。「キョーコちゃん」、「やすこ」といった呼び方にも、心を許している安心感が前面に出た感じがしています。これまで物足りなかった学校や先生との関わりを埋めていたのでしょうか。そんな印象の学年でした。
少し振り返ってみます。
2020年3月ちょうど皆さんの中学校生活真っ只中に、COVID-19、いわゆる新型コロナウイルスによるパニックが世界のあちこちで起こりました。街中まちなかや飛行機の機内は人の姿がまばらで、「パニック映画みたいなことが本当に起こるんだ」と驚いたことを覚えています。それまでの「当たり前」や「常識」に対する認識を大きく変えさせる世界になりました。
日本国内では、通うのが当たり前と考えられていた学校は、全て登校禁止となりオンラインで授業を行うようになりました。みなさんの中にも感じた人がいるかと思いますが、画面越しの交流や課題で進んでいく授業、行事の中止や縮小から、学校の存在意義に対する若者の戸惑いの声がいろんなメディアで紹介されていました。逆の形で、あるフリースクールの先生から「コロナ以前から不登校を選択していた子どもの中には『みんなも学校に行かないので、堂々としていられる』と、安心した様子を見せている子もいるんです」といった話を聞くこともありました。いろんな捉え方があるんだと思った記憶があります。なんにせよ、人と関わることで外の世界と繋がり、自己の領域を広げる大切な時期にそのような環境で過ごさざるを得なかったことは、その手からこぼれ落ちた経験がたくさんあったかと思います。
さて、当たり前が当たり前でなくなるといった、大きく動く時代を経験した皆さんはすでに感じ取っているのかもしれません。それは「常識」とか「当たり前」とは、決して揺るがない「不変・不動」なものではないということです。例えば皆さん自身、教師との関係や職員室は3年前、5年前までならどのようなものが常識だったでしょう。そして今、「教師との関係や職員室ってどんなのが当たり前だったらいいと思う?」と問われた時、どんな答えになるでしょう。
つまり、時代や文化、経験で常識は変わっていきます。「はて?」と思ったら、その当たり前を疑い、どういうことなのかを確かめる行動をとって欲しいと願います。凝り固まらずに、その両方をテーブルに載せてじっくりと考えてください。昨日の高濱先生の礼拝でもありましたが、水平線に石を投げるような手間と時間がかかったり、手応えのなさはあるでしょうが、いろんな人の意見があって、それらを出し合ってみると新しい発見があるという経験をみなさんはしてきているはずです。極端にどちらかによる必要もなく、また大きくは変わらなかったとしても、少し違った視点を得られるはずです。これからの時代、常識もどんどん変わっていくでしょう。アップデートを怖がらず、物事を正しく判断できる大人であって下さい。
それと同時に、今の時代、相手の意見や考え方に対し暴力的な、そして冷笑するような表現で対立や分断を招くような空間があちこちに作られています。例えば、今まで関わったことのない人とか、違う考え方のような「よくわからない世界」に対して、シニカル(冷笑的・嘲笑的)に、ドライに対応する人が増えていると感じています。そんな、自分の知らない世界や考え方に対して、一刀両断で安易に評価することが珍しくなくなっています。
特定の人種をひとくくりに差別してみたり、憲法25条で保障された生存権を行使することが恥ずかしいことのように評論してみたり、政治を批判すると「日本から出ていけ」といったりと、なんとも悲しくなるような言葉が飛び交うようになっています。「それが今の時代だから」としないで、小さくても良いので抵抗しながら人と繋がり続けて欲しいと思います。他者との関係を断ち切ることは社会性を放棄することになります。
聖書にも「軽率なひと言が剣(つるぎ)のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。(箴言12.18)」あるように、ことばを大切に使って人とつながってほしいと願います。
これからも目の前の人の命や存在を大切にできる大人であってください。それは同時に、自分の命や存在を大切にすることにも繋がるはずです。他者がいるから、個性が生まれます。たった一人では、優しさもわがままも存在しません。
そして、最後に、卒業する皆さんにお願いです。
これから先、ぜひ弱い人の側(がわ)に立てる人になってください。困っている人がいたら声をかけられる人になってください。勇気のいることですが、その勇気と優しさを備えてください。地震や原発事故で生活を奪われている人、世界のあちこちで起こる紛争や戦争のことも忘れず、心を寄せてほしいと思います。いろんな出来事の陰で困っていたり足掻いていたり、声をあげている人がいます。そのような人と一緒に考え、声を上げられる人になって欲しいと思います。
寮下宿の管理人の皆さま。子どもたちの生活だけではなく、時に厳しく、そして愛情を持って子ども達の成長を支えてくださりありがとうございました。
そして保護者・関係者の皆さま。一回りも二回りも成長した子どもの姿に喜びもひとしおと思います。今日はひとつの節目であり、新たなスタートの日です。この日を迎えられたことを一緒に喜びたいと思います。ご卒業、本当におめでとうございます。今後とも本校の教育にご理解とご支援いただければと思います。
以上をもちまして、校長の式辞といたします。
2025年3月1日
北星学園余市高等学校 校長 今堀浩
北星学園余市高等学校の開校60周年記念式典にご参加の皆様、ようこそお越しくださいました。そして、記念講演の依頼を快くお引き受けくださった 植松電機社長・植松努様、この後の講演楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
本校は、1965年余市町の要請を受け、北星学園の7つ目の兄弟校として開校しました。開校当初から、その時代時代の社会問題と深く関わる子どもたちと共にこの地で教育を営んできました。開校当時は、公立高校に合格できなかった子どもたちが。1980年代後半は日本全国から中途退学をした子どもたちの転校先として多くの生徒が入学してきました。この数年は、不登校経験や勉強に自信がないという子どもたちも含め、十人十色、本当にいろんなタイプの集まる学校になっています。
そして、学校全体がキリスト教の大切にしている「弱さや未熟な部分も含めたあなたをそのまま愛する」という環境なので、肯定的な雰囲気の中で安心感を得ます。しばらくすると徐々に服装や持ち物、髪などの見えるところはもちろん、友達同士の関わり方やその時々のことばに、その人が現れていきます。人と違うことを恐れていた子どもは、「違っていい」と理解し、逆に人と違うことで自分の居場所を作っていた子は、無理をしなくても居場所が見つけられることを理解します。
その変化というか成長というか、いい意味でのリセットができると、子どもたちの動き方がみるみる面白くなっていきます。
学校制度ができた明治以降、学校の目的は学齢期の子供を一堂に集め、知識や教養、技術を一斉に教えることで、効率よく国に役立つ人材を育成することでした。ですから、子供同士の中で競争させることはその目的に大きく作用する力になりました。また、高校や大学への進学率が上がっていった時期は、偏差値が重視されます。加えて管理教育が厳しくなり、子ども同士の「同調圧力」が強くなる中、人との違いが指摘の対象となっていきました。子ども達がそんな環境に違和感を感じてしまうことは決しておかしな事ではありません。今はその反省からなのか、随分と個々の特性に対して柔軟に対応するようにという通達も出されています。
しかし、子ども達が求めているのは、特別扱いや順位付けで評価されるような環境ではなく、「みんな」と安心して生活できる空間なのだと思います。競争や進学も評価ポイントの一つでしかありません。たくさんの物差しがあると、見る側も見られる側ももっと余裕が持て、関わるきっかけも範囲も増えるでしょう。いろんな繋がりの中で安心できる時間を過ごすことができれば、他人にも自分にも興味や関心が増えてきます。人は社会的な生き物ですから、周りとつながりを求めその関係性の中で生きたいと願うことは自然な感情です。
この学校は、思春期にそんな感情に蓋をしたり、つながりに苦手意識を持ってしまった子どもたち。そしてもっと青春したいと望んだ子どもたちにとって、必要な場所であり続けたいと考えます。
北星余市高校も完璧ではありません。しかし、開校以来途切れることのない「集団の中でこそ人は成長する」という理念を大切にし、「民主的な集団づくり」の歴史を紡いできました。クラスでの取り組みや生徒会活動に向かうための議論に時間はかかりますが、その分なぜそれが必要なのか理解して取り組むことができます。ですから、特に行事に向かう子ども達の姿勢はかなり積極的で、いい意味で純粋で子供っぽく、またそんな時間をしっかりと味わうように過ごしています。そして、挑戦と失敗を繰り返しながら、より良い関係づくりを学び、成長していきます。
そのような高校生活を送った後、社会に出るにあたり福祉関係や教員を目指す生徒も多くいます。入学前には自尊心が低かったり対人関係を得意としていなかった生徒たちも、いろんなタイプの大人や友人と関わり、学び、議論を重ねながら視野を広げていきます。社会の様々な場所で自らの存在を活かしている卒業生の姿は、後に続く後輩に希望を与えています。
私たち北星学園余市高等学校は、これまでも、そしてこれからも、その時代の若者が抱える課題に真摯に向き合い、学校生活を通して社会に巣立つため自分と隣人を愛せる人として成長する場と機会を生徒たちと共に守っていきたいと考えます。
結びとなりますが、卒業生、P T A―O B、同窓会、北星学園と本校の歴代の教職員の皆様。本校の60年の歴史を紡いでくださったことに感謝申し上げます。そして、現在の在校生とP T Aの皆様。この歴史を次につなぐ大切な役割を一緒に担っていきましょう。また、本校を応援してくださる寮下宿の皆様、地域の皆様。皆様の存在無くしては今日を迎えることができませんでした。感謝を申し上げ、引き続き生徒の成長を見守り、支えてください。
全国でも稀な実践を重ねる本校に対して、今後も皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
以上を持ちまして、校長の挨拶といたします。
2024年10月5日 北星学園余市高等学校 校長 今堀浩
57期生の皆さん。ようやくこの場に辿り着きましたね。
皆さんの中には、中学時代を含めて前の学校で人との関係に自信が持てなくなったり、なかなか自分を認めてくれない周りにイライラしたり、諦めを感じたりしていた人がたくさんいるかと思います。
そんな時期に、自分の進路を選ぶにあたって、わざわざ人との関わりを柱にしているこの学校を選んでくれました。その選択に間違いはなかったと感じてもらえているでしょうか。
皆さんが過ごした高校生活では、今後の人生において必要な経験や学びがたくさんありました。
例えば、人との関わり方や思いの伝え方です。
中には、選んだ言葉や振る舞いを間違えて謹慎処分を受け、その時間を通して気づいた人もいました。また高校卒業資格としての単位も必要な学びでした。追試や補習を繰り返して、苦労しながらようやく手に入れた、という人もいますよね。それらは、これからの皆さんの
さて、今の日本ではいろんな方法で高校卒業の資格が手に入ります。
朝起きるのが苦手だった人は、昼から通える学校を選んでもよかったし、わざわざ親元を離れなくても入学できる学校は見つかったかと思います。そもそも学校という仕組みを使わず、必要最低限の勉強で高校卒業の資格を得る方法も今の時代には存在するからです。
しかし、改めてこの学校での生活を振り返ってもらいたいのですが、必要最低限のものだけではなく、今風の言葉でいうとタイパやコスパ的には非常に効率の悪い生活指導やHR活動がありました。
例えば、先月行われた予餞会。わざわざあの時間をとって歌を歌ったりクイズをしたからといって、卒業に必要な単位にはなりません。朝のHRだって、その時間に席についていなくても、あとで担任の先生に今日の予定や連絡事項を聞けば、それほど困ることにはならないでしょう。「高校卒業の資格を得るために必要なこと」だけ͑を考えれば、A組とかB組といったクラスを作る必要も、もっと極端なことを言えばクラス担任との関わりをなくしても困らない場所や仕組みはあるのです。
高校卒業の資格を得るために、これほど非効率な3年間は、この先は流行らない仕組みなのだろうと思ったりもします。もっとスマートに、もっと便利な方法を人は求めていくかもしれません。
けれど、皆さんの経験したここでの高校生活は、それとは真逆の時間だったと思います。
1年の中では、強歩遠足やスポーツ大会、学校祭といった学校行事だけではなく、朝から顔を合わせる教室の中で、またクラスや学年で取り組んだイベントや生徒会企画の空間の中で、目まぐるしく繰り返されてきた関わり合いがありました。
そして寮下宿生活をして来た人にとっては他の寮生や管理人さんとの交流やぶつかりあいを経験した人もたくさんいるはずです。そんな時間がこの学校には流れています。
僕の好きな聖書の言葉に、「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される(箴言27章17節)」というものがあります。時間をかけて関わり、ぶつかり、理解し合うことで、皆さんの感性は磨かれて来たと思います。
きっと皆さんは、そのような非効率ともいえる高校生活を通して、人としての幅というか深みを得たはずです。
どうも自分とは合いそうにないと思っていた人から思いもよらない思いやりのこもった言葉をもらうことで無駄な力が抜けた人。
人前で喋るなんて絶対無理と逃げていたのに、自分の考えを表現することが楽しくなった人。
それぞれ違いはありますが、3年前の自分と比較してその成長を実感して欲しいと思います。
そう考えると、一見無駄に見える時間は感受性の強い思春期にはとても大切な肥料なのだと思います。
社会がとても便利になっていく中、時間をかけずに効果を求めることがメインストリームになっているように感じます。それを全て否定しようとは思いませんが、「無駄に見えるものの中に、実は大切なきっかけが転がっているんだ」と感じ取れる感性を失わずに社会に出て欲しいのです。
もしかしたら、この先皆さんが生活する場では、そのような生き方は「不器用」とか「時間の無駄」とバカにされるかもしれません。人より出遅れるようなことになるかもしれませんし、出世できないかもしれません。それでも、新しい関わりを作り上げていくためには無駄に思えるような時間をかけなくてはならないことは十分理解してもらえているでしょう。
少し社会に目を向けてみると、年が明けてすぐ石川県で大きな地震がありました。2ヶ月経った現在でも被害の全体像は明らかになっていません。失ったものが大きく、まだまだ支援が届かずに日常生活に戻る道筋が全く見えていない被災者の方がたくさんいます。
今日のようなおめでたい日にこのような話をすることに少しためらいがありました。
しかし、北星余市高校の母体でもある北星学園は1995年、「キリスト教の精神に立つ学園として、平和を作り出すことの大切さと人権を尊ぶ教育の重要さ」という考え方を「北星学園平和宣言」という形で発表したこともあり、ここを巣立つ皆さんに「考え続けてほしい課題」として預けても大丈夫だろうと信じて、お話ししました。
自分の価値観に固執せず、周りの声も聞きながら、時間はかかるかもしれないけれど、どうしたらより良い解決策を見つけられるか、という練習をたくさんしてきた皆さんだから、です。
人との関係づくりや、物事に向き合い理解していくことに対して、タイパやコスパで測るようなことをしないで欲しいと願います。きっと楽な道ではないでしょうが、丁寧に生きていって欲しいのです。
そして、皆さんは4月までに全員18歳になります。2022年4月から18歳を成人とする民法が施行されています。社会的にはもう大人として扱われることになります。まだまだピンとこないかもしれません。この先、大きな責任も伴いますが、同時に自分の判断で出来ることも多くなります。最初に「ようやくこの場に辿り着きましたね」と言いましたが、皆さんの人生の本番はこれからです。大変なこともありますが、周りの力も借りながら自分の進む道を定めていってください。
もう一つお願いがあります。昨年もこの場で話したことです。
これから先、ぜひ弱い人の側(がわ)に立てる人になってください。困っている人がいたら声をかけられる人になってください。勇気のいることですが、その勇気と優しさを備えてください。今は一部の力ある側がその力を自分たちの都合のいいように使う場面があちこちで見られます。その陰で困っていたり足掻いていたり、戦っている人と一緒に考え、声を上げられる人になって欲しいと思います。
最後に、生徒たちを支えてくださった寮下宿の管理人の皆さま。時に厳しく、そして愛情を持って子ども達を支えてくださりありがとうございました。つい最近寂しいお別れもありましたが、天国から見守ってくれていることと思います。改めてありがとうございました。
そして保護者・関係者の皆さま。一回りも二回りも成長した子どもの姿に喜びもひとしおと思います。今日はひとつの節目であり、新たなスタートの日です。この日を迎えられたことを一緒に喜びたいと思います。ご卒業、本当におめでとうございます。今後とも本校の教育にご理解とご支援いただければと思います。
以上をもちまして、校長の式辞といたします。
2024年3月2日
北星学園余市高等学校 校長 今堀浩
今年は日本全国から桜の便りが早く届きました。ここ余市町も例年にないくらい早い春を迎えています。そのような中、本日、北星学園余市高等学校第59回入学式が行えることを心から嬉しく思います。
本日お集まりの皆さま、特に新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。ようこそ北星余市高校へ。
本校の母体である北星学園は、アメリカの女性宣教師サラ・C・スミスが1887年に札幌で立ち上げた女子教育を行う小さな塾から始まりました。そして1965年、本校は北星学園の7つ目の学校として、ここ余市に誕生し今年で59年目を迎えることになりました。
今年は1年生59名。2年生3名、3年生2名のあわせて64名の新しい仲間を迎えることができました。
新しい環境に身を置き、自らの成長を求めて日本全国のさまざまな場所からこれだけの若者が集まり、今日からこの地で高校生活を始めることになります。これから始まる学校生活への期待よりも、大きく環境が変わることに対する不安を感じている人の方が多いのかもしれません。それでも、今日一歩を踏み出したみなさんに対し、心より拍手を送りたいと思います。
今日この場にいるみなさんの多くは、新型コロナウイルスにより中学時代に多くの行動が制限されていたことと思います。そのことで学校生活に物足りなさを感じた人もいたでしょうし、なぜ学校に通うのか分からなくなっていた人もいるかもしれません。中には、学校行事や人との関わりが苦手で、むしろその方が楽だったという人もいるかもしれません。その人その人の捉え方がありますから、同じ状況であっても受け止め方が変わることは仕方ありません。ただ、思春期に経験するあらゆる事は、事柄の大きい小さいはあれ、これからの生き方や考え方の糧、つまり経験値となることは間違いありません。人と関わりながら行われる学校行事や生徒会活動というものが、思春期を過ごすみなさんの成長に必要な要素が含まれたものであるといった考え方のもと、私たち北星余市高校は毎月のように学校行事を組んでいます。
5月、生徒会執行部の先輩達に引率されて、まだよく分からないクラスメートや学年の人達と1泊で行う1年生研修会。6月には、30kmや50kmの距離をただ歩くだけなのになぜか盛り上がる強歩遠足。まだまだたくさんの行事がありますが、そういった行事は実際に経験してみないと、何が辛くて何が面白いのか、本当の意味では分かりません。
同じように、学校生活を通してみなさんに実感してほしいことは、「人はじっくり時間をかけて付き合ってみないと分からないことがたくさんある」ということです。第一印象が大きな影響を与えることは確かですが、決してそれがすべてではなく、また人はそんなに簡単で単純なものではないということをこの学校生活の中で学んでいってもらいたいと考えています。
同じ世代が集まった中で過ごす学校生活になるので、どうしても限界はありますが、中学校と比べ高校は随分と世界が広がります。そして、ここ北星余市は出身地や年齢、経験という事では他に例を見ないような集団となります。この環境を活用してみなさん自身の成長のきっかけをひとつでも多く手にしてほしいと願います。
みなさんの周りには、年齢や経験、考え方など、「それぞれが持っているものは違って当たり前」と考える土台があります。教師だけではなく、今日この場に来てくれている生徒会執行部をはじめとする生徒たちもそうです。
「人は人の中でこそ成長する」が本校の考え方です。今日から学校生活を共にする先輩や同級生、管理人さんや先生たちと一緒に、たくさんの経験を積み重ねていってください。
最後になりますが、本日、大切なお子さんを北星余市高校に送り出していただいた保護者の皆様。改めて、ご入学おめでとうございます。そして、今日からよろしくお願いいたします。
新しい学校生活へと送り出すにあたり、心配や不安、わからないこともたくさんあるかと思います。私たちは、保護者の皆様と、お子さんの成長を一緒に考える関係になれたらと願っています。何かありましたら、ご遠慮なくお聞きください。そのような中で北星余市高校の教育をご理解いただければ幸いです。
これをもちまして、校長の式辞といたします。
2023年4月8日
北星学園余市高等学校 校長 今堀 浩
56期の卒業生を送り出すにあたり、校長としてメッセージを贈ります。
これまでさまざまな場面で皆さんの高校生活には、枕詞に「コロナによって影響を受けた」が使われてきました。そして実際そのとおり、みなさんの高校3年間は私たち教育に携わる人間として本当に心を痛めた時期でもありました。
皆さんが本校の入学試験を受けていた時期、遠い世界の出来事のような形で「COVID-19」という言葉が生まれ、2020年3月、日本中の生活が一変しました。
皆さんにとって節目となる中学校の卒業式や高校の入学式に直接影響を及ぼしたことは今でも忘れられず、とても残念なことだと思っています。
そして、入学後の北星余市で過ごした3年間は、常にマスクと消毒と検温がついて回りました。長期休み明けの抗原検査と行動制限もありました。学校行事も縮小や時期変更などで対応しなければならないことも多く、なんだか物足りないと感じている人がいるのだろうと考えると、「もう1年くらい高校生活をやってみたらどうですか」と、言ってみたくなったりもします。
そんな冗談はさておき、そのような制限だらけの高校生活の中であっても、学校祭やスポーツ大会では力一杯輝く姿を見せてくれました。こういう関わりや取り組みを求めこの北星余市に来たであろう皆さんの姿を見ていると、世の中の閉塞感に抗うようなパワーや、その機会をできる限り味わってやろうというように見えました。
さて、その閉塞感や制限がついて回ったとはいえ、この高校生活の間に、それぞれどんな成長が図られたでしょう。関わりの濃密さや人の多さに、当初は苦手意識を感じていた人も多かったでしょう。寮生活という親元を離れる経験に不安を抱えていた人もいたでしょう。勉強なんてもう何年もやってこなかったし、座っているだけでも疲れるという人がいたことも覚えています。
反対に、最初からボランティアやクラブ活動、放課後の行事に積極的に参加して、高校生活を満喫していた人もいました。それぞれの時間の積み重ね方は本当に色々で、まさに多様性や個性の塊と言われる北星余市を体現してくれていました。
皆さんは自由な環境の中で、自主的な判断で物事を選んできたはずです。当然、全てが許されていたわけではありませんが、それでも多くのことを選ぶことができたはずです。
全国の学校では、「先生の言うことは聞かなければならない」とか、「学校の決まりは疑問があっても守るのが当たり前」ということが一般的な姿です。そうした疑問を持たない方が楽だし、学校の言うことを聞いていればきっと大きな間違いをしなくて済むからです。そして、学校もそういった関係性の方が楽なのだと思います。労力も時間も使わなくて済むのなら、コストパフォーマンス的にはそちらの方が今の時代に合うように思います。
でも、皆さんがここで過ごしてきた時間は、内面にズカズカと入り込んでくる教師や友人や管理人さんがいたはずです。そんな人たちとの関わりは、余計だと感じることがあったり、ちょっとしたことで指導を受けたり、気持ちを隠しているのになぜか見透かされていたりという、決してスマートとは言えない時間だったことが多いと思います。どちらかというと泥臭い関わりであったり、回り道が繰り返されるような時間だったという印象ではないでしょうか。そういう、非常に時間のかかる教育を皆さんは受けてきたということです。
今、世の中では、できる限り事柄を単純化し、楽に、短時間で結果を出すことが求められる傾向があります。
「5分でわかる」とか、「ファスト映画」とか、「倍速再生」というような、待つことやじっくり向きあうということが敬遠される風潮が強くなっています。
残念ながら社会では二項対立の形ですぐに選択を迫られたり、政治の世界でも国会での審議をおろそかにするようなことも起こっています。大人からそのような姿を見せられると、子どもたちはそれがおかしなことだとは感じなくなってしまうのも無理はありません。
しかし、人や事柄を理解するには、じっくりと時間をかけること、たくさんの機会を経験すること、いろんなタイプと関わることといった、一見面倒臭い様々なことと、そこから逃げたいという気持ちを乗り越えてその場にいることが大切です。嬉しい発見ばかりではなく、うまくいかないこともたくさんあります。「だから」というか、「でも」というか、そういった一つ一つを諦めずに積み重ねてきた皆さんだから、見えたものがあったはずです。友達のちょっとした成長が自分のことのように嬉しかったり、クラスの誰かが何気なく発した言葉に気付かされたり。大きな行事で得られる成長ばかりではなく、日常のふとしたことが自分の糧になっていることも実はたくさんあったことに、もし今気づいていなくても、いつかどこかで気づいてもらえるはずです。
入学前、「青春したい」とか「毎日学校に通う高校生活を送りたい」とか「友だちを作りたい」と言葉にしてくれた人が何人もいました。今、振り返ってどうでしょうか。
思春期に人との関わりを学ぶことが大切だと気づき、その環境に身を置いた皆さんを心から誇りに思います。
成人年齢が18歳となった今、すでに皆さんは社会的には大人として扱われることになります。しかし、これからもまだまだ学びは続きます。決して諦めることなく、人と関わりながら成長を続けてください。
もう一つ、お願いがあります。
僕が担任として卒業生を出すときに生徒達にお願いしていたことです。今この立場にいるので、せっかくの機会を活用させてもらい、皆さんに伝えることにしました。
これから先、ぜひ弱い人の側(がわ)に立てる人になってください。困っている人がいたら、声をかけられる人になってください。勇気のいることですが、その勇気を備えてほしいと思います。
最後に、生徒達を支えてくださった寮下宿の管理人のみなさま。時に厳しく、そして愛情を持って子供達を支えてくださりありがとうございました。
そして、保護者・関係者の皆様。一つの節目であり、新たなスタートの日ではありますが、何より今日の日を迎えることができたことを一緒に喜びたいと思います。
ご卒業、本当におめでとうございます。今後も本校の教育をご支援いただければと思います。
以上を持ちまして、校長の式辞といたします。
2023年3月4日
北星学園余市高等学校 校長 今堀浩
北星学園余市高等学校
校長 今堀 浩
2022年4月より、北星学園余市高等学校の校長に就任した今堀です。
このような立場になり、毎日が緊張の連続となっています。
とはいえ生徒たちの学校生活はすでに始まり、この時間と空間と環境を通じて日に日に成長している姿を見せてくれます。彼らの多くは親元や地元を離れ、余市町内の寮・下宿で生活を送っています。自宅ではないためわがままもできません。むしろ他人と生活するのですから、遠慮しなければならないことのほうが多いのかもしれません。
しかし、地元から離れたり他人と生活することをあえて選んだ生徒たちは、ここの環境によって本来の明るさや元気を取り戻すことができていると話してくれます。「自分のことを誰も知らない環境でもう一度高校生活を送る」「自宅にいると甘えすぎるから」など、あえて厳しい環境を選んでいるということです。
私たち北星学園余市高校が大切にしている「クラス集団づくり」や「人と関わりながら生活する」ということは、楽しい事ばかりではありません。ですが、その経験を通したからこそ得られる成長もあると信じています。これまでの経験や、生まれ育った文化、個人の考え方は、本当に人によって違います。ですが、その違いを受け止めることができたときには、自分自身も大切に考えることができるようになります。「人は違っていて当たり前」という当たり前のことばも、実際の体験として得ることができればとても楽に生きることができます。これまで人と違うことで苦しんできた生徒もたくさんいますが、その違いが受け入れられる環境で安心して高校生活を送ってほしいと願います。本校のパンフレットの中に、色とりどりの丸が描かれたページがあります。そういうことが当たり前の環境を守っていきたいと思います。
コロナ禍により、本校でもさまざまな行動が制限され、学校行事も縮小されました。しかし、生徒たちの成長には学校行事が大切だと考え、生徒とともに試行錯誤して挑戦してきました。その時に見せてくれた生徒の表情や取り組みの様子から、「生徒たちもリアルな関わりを求めている」と確信しました。とてもクラシカルな仕組みかもしれませんが、やはり一緒に生活しながらともに成長する環境を守っていきたいと思います。
そして、保護者の方々にも仲間を見つけてほしいと願っています。
「他の子はできているのに、うちの子だけできない」といった悩みは、なかなか人に相談できないものです。勇気を出して話しても、理解してもらえなかったり批判されたりという経験をお持ちの保護者のお話もたくさん聞いてきました。
「確かに子どもに対する責任は保護者にある。けど、悩みを相談したり一時期他人の力を借りながら子育てすることもあっていいはず」と、教育相談会でお話してきました。親にとってもPTAというつながりから仲間を見つけてほしいと思います。親にとっても子育てで経験することは初めてのことばかりです。そんな時に感じる悩みや不安を共有できる仲間づくりも、北星余市高校にとっての大切な取り組みの一つとなっています。
子どもにとっても保護者にとっても、一人で悩まず、仲間づくりをしながら成長できる環境として、本校を守っていきたいと思います。
ここ北海道余市町も日に日に春らしくなってまいりました。
本日、北星学園余市高等学校の第58回入学式にお集まりの皆さま、ご入学おめでとうございます。ようこそ北星余市高校へ。
本校の母体である北星学園は、1887年アメリカの女性宣教師サラ・C・スミスが札幌に立ち上げた女子教育を行う小さな塾から始まりました。そして1965年、本校は北星学園の7つ目の学校として、ここ余市に誕生し58年目を迎えます。
今年は1年生66名。2年生4名、あわせて70名の新入生を迎えることができました。日本全国のさまざまな場所からこれだけの若者が集まり、今日から高校生活を始めることになります。その中の多くの人達は寮下宿に入って学校に通います。自宅から通学する人も新しい人間関係の中で高校生活が始まります。ですから、これから始まる学校生活への期待よりも、大きく環境が変わることに対する不安を感じている人の方が多いのかもしれません。
それでも、今日一歩を踏み出したみなさんに対し、心より拍手を送りたいと思います。
さて、少し世の中に目を向けてみることにしましょう。
2年前から続いている新型コロナウイルスによる影響や、ヨーロッパで始まった戦争など、これまでの考え方や常識が大きく変わる出来事がたくさん起こっています。それらについてはまた別の機会にみなさんと考えていきたいと思います。
今日皆さんに伝えたいのは、この4月1日より民法が改正され、成人年齢が18歳に引き下げられたことです。明治時代から140年以上も変わらなかった法律が今年度から変わりました。まだピンとこないかもしれませんが、皆さんは遅くても高校3年生になる頃、社会的には大人として扱われる年齢になります。その責任や立場などはこれからゆっくりと考えることになるのでしょうが、大人になる準備はすでに始まっているということになります。
今自分に備わっている力と、こうありたいと考える理想の姿の間にある「差」を大切に自覚してほしいと思います。その差がどれほど大きくても、それは成長のきっかけになるからです。
成長に必要なことは学びと経験の積み重ねしかありません。これから皆さんが過ごす高校生活で、出会うさまざまな人と、取り組むたくさんの行事から、そして時には間違えたり失敗をも通じて積み重ねていってください。
そうは言っても、皆さんの中には学校生活に不安や心配を抱えている人もいると思います。
学校という環境は、とても狭い世界です。同じ年代の人が集まり、同じ時間に同じことに取り組む。その中では、どうしたって上手くできる人が評価されることになります。人を評価する物差しがその一つだと、息苦しさや違和感を感じる人がいても不思議ではありません。
ここ北星余市高校も、同じ時間に同じことに取り組むことを求めることがあります。そのため全てにおいて満足できる環境ではないかもしれません。
それでも全日制普通科の学校としては、ほかにあまり例を見ないほどたくさんの物差しを用いて皆さんを見ることができます。それは、学校全体に年齢や経験、考え方など、「それぞれが持っているものは違って当たり前」と考える土台があるからです。
学校にもいろんな評価基準、つまりたくさんの物差しがあってもいいはずです。誰しもが持っている長所、例えば絵が上手、歌がうまい、気遣いができる、面白い話題を持っている、物知りであるなど、そんな数字では表しにくいことも含めて、「それっていいね」とお互いに認め合える環境で成長していってほしいと考えています。
「人は人の中でこそ成長する」が北星学園余市高等学校の考え方です。今日から学校生活を共にする先輩や同級生、管理人さんや先生たちと一緒に、たくさんの経験を積み重ねていってください。
最後になりますが、本日、大切なお子さんを北星余市高校に送り出していただいた保護者の皆様。ご入学おめでとうございます。そして、今日からよろしくお願いいたします。
新しい学校生活へと送り出すにあたり、心配や不安、わからないこともたくさんあるかと思います。私たちは、保護者の皆様と、お子さんの成長を一緒に考える関係になれたらと願っています。何かありましたら、ご遠慮なくお聞きください。そのような中で北星余市高校の教育をご理解いただければ幸いです。
まだまだ新型コロナウイルスの影響が続き、マスク越しやオンラインでのつながりが中心ですが、顔の見える関係を模索しながら、共に子供たちの成長を応援していきましょう。
これをもちまして、校長の式辞といたします。
2022年4月9日
北星学園余市高等学校 校長 今堀 浩
本日、54期生の皆さんが卒業の日を迎えるにあたり、校長としての思いを、少しお話させていただきます。
みなさんは今日の日を迎えるにあたり、どのような気持ちでいるでしょうか。もちろん北星余市での高校生活を無事に終えて卒業というとても大切なものを勝ち取ったことへの喜びはいかばかりかと思います。ただそれと同時に明日から始まる新しい生活への不安な気持ちを持っている人もいるのではないでしょうか。
今の日本と世界での新型コロナウイルスの感染拡大状況は、本当にあらゆることに対する悪影響をもたらしています。昨年の4月から大学生になった大学1年生は、ほとんど大学に行かないまま1年間、オンラインでの授業を受けています。大学生らしいキャンパスライフを送れていません。また生活費をアルバイトで賄うつもりだった学生は、飲食店のアルバイトがなくて困窮しています。就職しようにも、多くの会社が業績不振で採用する新人の人数を減らしているので求人がとても少なくなっています。明日からみなさんは、嫌でもそういった世間の荒波の中に出ていかなければなりません。
どう見ても卒業後に明るい未来が待っているとは思えない状況です。そうした厳しい世の中でどう生きて行けばいいのか。私が大切だと思うのは、自分が生きていくためにどうしても譲れないことは何かをはっきりさせることだと思います。それはがあると、たとえどんなに生活が大変でも自分を見失わないで生きていけると思うのです。ただ、そのことを貫くとこの日本では苦しい思いをするかもしれません。つまり世間では認められない場合もあるかもしれないという事です。それでも自分の考えを曲げないで生き続けていくと、いつか世間が自分の考え方に近くなるかもしれないと思うのです。
例えば、みなさんが北星に入学したときのことでいえば、一般的には地元で、自宅から通学できる高校に行くのが普通である見られるなかで、北海道の余市にあるうちの学校に入学することは、やっぱり普通の高校生活とは違うと世間は見るでしょう。けれど、この北星余市での高校生活は、生徒をいい大学に行かせようだとか、スポーツで全国に名前を轟かそうだとか、というような世間一般的な高校の在り方とは全く違う、人間が人間らしく生きるために必要なことは何かを追求していく高校生活です。突き詰めて考えると、高校とは人がまともな大人に成長するための経験をする場所なのですから、そのことこそがもっとも大切にするべき、当たり前の学校の価値観なのかもしれません。
そう考えると北星余市こそがもっとも普通らしい学校といっていいかもしれないのです。ただ世間の多くの人がそう思ってくれるには、もう少し時間は必要でしょう。それでも北星余市があきらめないで学校を続けていくことができるのは、北星余市で成長してくれた多くの生徒たちが卒業した後もしっかりと生きて行ってくれているからです。そういう多くの卒業生の存在によって、私たちは北星余市が世の中に求められている学校だと思えるのです。
校長として54期生のみなさんに期待することは、北星余市の卒業生の皆さんが、厳しい世間の中で時に毅然と、時にしなやかに、これからもしっかり生きて周りの人たちにその生きざまを認められるようになってほしいということです。そういう生き方をする卒業生がたくさんいてくれると、教員も、在校生も、下宿の管理人さんも、大いに励まされ、これからも北星余市に入学する生徒のために頑張ろうと思えます。ぜひ皆さんは、そういう生き方をして我々が自慢できる卒業生になってください。お願いします。
最後に54期生の保護者の皆さん、北星余市にお子さんを入学させていただき、本当にありがとうございました。特に54期生が入学してくれた2018年度は、本校は廃校になるかもしれない瀬戸際のギリギリのところにいました。そうした中で、入学してくれた多くの54期生のおかげで今日まで学校を続けることができております。これも54期生の保護者の皆様のおかげだと思っております。心から感謝申し上げます。今後も北星余市を応援し続けていただければ幸いです。
それではこれを持ちまして、校長の式辞とします。
2021年3月6日
北星学園余市高等学校長 平野 純生
北星学園余市高等学校
校長 平野 純生
北星余市の入学式において、多くの新入生は無表情で、暗い感じです。
これまでの小学校や中学校で嫌な思いをたくさんしてきたわけですから、これから新しい高校生活が始まると言われても不安になるのは当然だし、それが表情にも出ているのだと思います。それでもなんとか北星余市での高校生活を始めるための決意をしてもらうのが入学式です。
入学式のあと、クラスではしばらくの間、生徒同士の会話も少ない静かな雰囲気が続きます。そんな中でも多くの人が少しずつ、自分が話しやすい人と話すようになります。クラスとの友人関係がぐっと近くなるのは5月に行われる1泊2日の1年生研修会です。いろんなタイプのクラスメートと身体を密着させる集団ゲームをしたり、同じ部屋で泊まる中でいろんな人と話をしてクラスでの交友関係がぐっと広がります。そうなればその後のクラスでも話をする友人が多くなって安心して生活できるようになります。
そうやって始まる北星余市での高校生活ですが、季節が進み暑くなるころにはこんな風景も見られます。 4時間目終了のチャイムが鳴り終わらないうちに、入り口から多くの生徒たちが入ってきて、ある生徒は先生の席のそばに座って先生とおしゃべりをしています。ソファーに座っている女子2人組は、2人だけが聞こえるような声で楽しそうに話しています。また扇風機の近くで涼しい風を感じながら、男女の4~5人が、お互いに面白おかしいことを言いながら盛り上がっています。その他にもいろんなところで生徒たちのグループがいて、先生も加わって話をしています。これは、ある初夏の日の昼休みの職員室の様子です。職員室は基本的に生徒が自由に出入りしていて、生徒の憩いの場となっています。教員は、生徒と話したり、生徒たちの様子を見たりすることで生徒の状況を把握することができます。
また、週に1回、昼休みの開始とともに、全校に「今日はお弁当の日です。みなさん、中庭に集合してください。」という生徒会執行部からの放送が流れます。中庭では、気持ちのいい日差しの中で芝生の上にブルーシートが敷かれて、そのうえでお弁当や売店で買ったお菓子を持ち寄った生徒たちが笑いながらおしゃべりをしています。これは生徒会執行部で行っている全校生が学年に関係なく仲良くなるための企画です。北星余市では、学年が違うことを気にしないで仲良くなれます。
学校内で生徒たちが楽しそうに過ごしている場面を見るたびに、北星余市で笑顔の生徒が多いのはどうしてなのかと考えます。よく考えてみると北星余市は、何か特別なこと、たとえば進学実績がすごいとか、何かの部活が活躍しているとか、他の高校がアピールしているようなことは特にない学校だと思います。 ただ、高校生活の3年間を充実したものにするために、どんな行事があれば楽しくなるだろうか、授業はどうすればわかりやすくなるか、クラスで生徒同士が分かり合えるためにはどうすればいいか、どんなクラブがあれば放課後に参加したいと思うかなどを考えて、それを生徒と一緒に創っていこうとする学校であることは間違いありません。
北星余市では開校当初から50年以上、決して勉強が得意なわけではない生徒や時には悪さをしてしまうやんちゃな生徒など、どんな生徒でもいいところを見つけて真剣に向き合えば、まともな大人に育てることができるというポリシーを持ち教育を行ってきました。あえて言うなら、そういう教育をしっかり続けていることだけが他の学校にない自慢できるところだと思います。今の時代のどんな辛さや困難をかかえた生徒であっても、北星余市の教育の中で、成長できる可能性があると思っています。もちろん、すべての生徒が満足できるわけではないかもしれませんが、北星余市の教育の様々な場面で、生徒たちが輝く時があるのは事実です。北星余市では、頑張る姿勢をみせれば多くの輝きを体験できます。
「地元にいるときは、これからの自分の人生はどうなるんだろうという不安しかなかった。北星しか行く場所がなくて入学したけど、最初は、クラスや学年の周りの生徒たちを見てとんでもないところに来たと思った。でも、卒業して思うのは、北星での高校生活は本当に楽しかったということ。今の専門(学校)は楽しくないけど、北星での生活を思い出して頑張れる。北星に来なかったら自分の人生はどうなっていたんだろうと思う。まあ、北星に来たから自動的に変われるわけではないけどね。」これは、ある卒業生が学校に遊びに来た時の雑談の中での会話です。
この卒業生が北星余市での高校生活を楽しいと感じたのは、クラスや学年、下宿の生徒たちとの関わりながらの高校生活を楽しいと感じたからでした。そうした関わりの中で、ここが自分の居場所だと感じることができたからでした。人は人との関わりの中でこそ生きている実感を得ることができます。北星余市では本当にリアルな楽しい毎日を送ることができます。 北星余市の卒業生たちは、誰でも驚くほど雄弁に自分の人生を語ります。卒業生の話を聞くと、思春期には本当に苦しい時があるけれど、それを乗り越えることは可能であるし誰でも生きる希望をつかめるのだと思わせてくれます。
これからの高校生活をどうしようかと考えている方は、ぜひ北星余市を見に来てほしいと思います。北星余市はあなたの人生を変える学校になるかもしれません。
今年度は、1年生59名・2年生名5名、3年生2名の合わせて66名の入学生をここに迎えております。「北星余市」での出発を祝うために日本各地から、お集まり頂きましたこと、関係者各位に、重ねて感謝申し上げます。
さて、みなさんには今の社会はどのように映っているでしょうか?
スマートフォンを持っていれば、なんでも調べられるし、誰かといつでもコンタクトできるし、ゲームもし放題!時間もつぶせるし、便利な社会だからいいんじゃない?と考えているでしょうか?
それとも、結局は人なんか表面上のつきあいで、バラバラなんだよ、でも独りぼっちはいやだし、合わせるしかないか。疲れるなぁ?と考えてきた人もいるかもしれません。
なんだか就職も厳しいし、ブラック企業なんてものもあるらしい。でも生活のためには稼がなくてはならないし、なんだかこの先楽しいことなさそう・・・まぁ、だから今楽しまなきゃ損!と思っている人もいるでしょう。
どのように考えるかが正しいのかをいま述べるつもりはありません。なぜならば正しいのか、正しくないのかは、今はたいして問題ではないからです。
たとえば昔、そんなんだったら、まともな大人になれないよ!と言われたことないですか?私はよく言われました。お恥ずかしい話ですが、私は面倒くさがりだったので、すぐにサボることを考えるタイプでした。ですからコツコツと努力しないおまえはロクなやつにならないと言われてきたのです。それでまたそうやって怒られること自体が面倒くさいので、最小限の努力で文句言われない結果を出すためにはどうしたらいいのか?という方に能力を使うことになってきました。そのためには今何をしなくてはならないのか、状況の正確な把握が必要になり、観察する力がついてきました。面倒くさいことを回避するためにはどのように振る舞うのが一番なのかと…われながら、なんだかすごくはしょっこくて、嫌なやつに見えてきますね。
ただ、先ほど出てきたスマートフォン。便利でいいじゃないという人が使っていると思うのですが、同じようにさまざまな便利なものがたくさんあって、よく考えると便利なものは、面倒くさい、もっと楽できないかなぁ~と考えた人が発明してきたのではないでしょうか?ということは、発明した人も使っている人にも「ロクな人間にならないよ」というべきなのでしょうか?
現実にはそういう人もいるし、そうではない人もいるということではないでしょうか?
たとえば、ボタン一つで大量の人を殺せる装置を作る人もいれば、障害を持った人でもハンディを感じずに生活できる装置を発明する人もいますよね。そして難しいのはどちらともいえないような物も多いことなのです。同じものが人を生かしもするし、ダメにもする。どのようなものが、なぜ、それにあたるのかを考えることが実は本当の勉強でもあるのだと思います。ロクな人間にならないと断じることは簡単ですが、断じることよりも一緒に考えることが、大切なのではないでしょうか。
もうひとつ個人的な話で恐縮ですが、面倒くさがりの私は、困っている状況をほっておけないという、あい反するような性格の持ち主なのです。これはとても悩みの種でした。だって、え~面倒くさいな~と思いながら、なんとか助けなくては~となるわけですから。おまえどっちなんだ?ということを人に言われるまでもなく、自分で感じているのです。
しかし、考えてみればそれは自分だけかというと、そうでもなく、人々は複雑な相反するものをもっているはずなのです。ただ、多くの場合、いい面だけをいい面として残し、悪い面を悪いものとして見ようとしないか、抹殺しようとすることで、解決を図ろうとすることに問題があるような気がします。
ところが私で言えば、面倒くさいという悪く見える部分で、観察力が身についたし、ほっておけないという良く見える部分で無理をして疲れて、「なんで自分だけがこんなに苦労しなくてはならないんだ」というマイナスの心が生まれたりするのです。
みなさんには、もし自分という存在が一方向だけでしか見られていないなと感じた時には、投げ出さずに、本当にその面だけしかないのかを考える姿勢を身につけてほしいと考えています。考えるだけではなく、もちろん自分が実際に行ったことに対する責任は身に受けなくてはなりませんが、だからといって終わりではなく、次がある存在なのです。そのためにみなさんには、いろいろな人との関わりが保障されるべきなのです。特に同じく学校生活を送る仲間の存在はとても大きく、高校卒業後の人生をも支えあう関係になりうる人たちです。一時的には傷つけあう事があるのかもしれませんが、皆さんの先輩はそこを乗り越えて卒業していったのです。ぜひこのことを頭の片隅に置いておいてくれれば幸いです。
本校はキリスト教主義の学校です。
今年の年間聖句に、
コリント信徒への手紙12章26節から27節
「ひとつの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、ひとつの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です。」
とあります。個人でも集団でもそのなかの小さき一つのものまで大切にされる。
そうした学校生活を守っていきたいと思います。
そのために私たち教職員は保護者の方や下宿の管理人さんと手を携えながら、とことんみなさんとおつきあいしたいと思っています。どうかよろしくお願いします。たくさんの高校時代の思い出をつくっていきましょう。
これをもちまして歓迎のあいさつとさせていただきます。本日はご入学おめでとうございます。
北星学園余市高等学校
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