よくあるご質問

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理念や指導方針

校長挨拶

厚生労働省が毎年実施している「新規学校卒業就職者の就職離職状況調査」によると、2012年には、高卒で就職した人のうち3年以内に離職する人は、全体の37.6%、大卒で就職した人のうち3年以内に離職する人は全体の30.0%もいることがわかってきました。厳しいと言われてい「就活」をくぐり抜け、せっかく得ることのできた職を3年をこえることなくやめてしまう、その背景に何があるのでしょうか?

私の世代であれば、学校で良い成績を取り、受験勉強をし、とにかく進学をすればそれなりの暮らしは保障されるという流れでした。現在でもそれは同じように見えるのですが、何かが違うのです。
あるニュース番組では、少子化が進み、地方では学校の統廃合が進んだため、子どもたちが遠いところからの通学になり、放課後に遊んで帰るという事が難しくなり、また、地域は地域で子どもが少ないので、まっすぐに帰って一人テレビゲームをしているというのです。都市部においても、これは昔からですが、思い切り体を使って遊ぶ場がないので、同じくテレビゲームで遊ぶ状況。そこで学校にかなりの金額をかけて、遊具を導入したところ、子どもたちが休み時間や放課後に集団であそぶようになったということが報じられていました。

子どもが遊ぶ、ということに関しては私のころとはずいぶん変わってきているのだという事を感じます。遊びはみんなで自らがつくりだすものでしたが、現在のそれは提供されるものになってしまっているようです。それでも、集団で皆がいきいきと遊んでいる姿を取り戻すという点では、朗報なのかもしれません。

もう一つ同じニュース番組の中で、象徴的な報道がありました。2020年に東京オリンピックの開催が決まったのですが、JOCの青少年育成のプログラム(JOCエリートアカデミー)があって、それは中学1年の入学時に、身体能力測定や、スポーツ28種の種目をやらせ、データを取り、最もその子に向いている競技を早くからわからせ、集中してやらせるというものでした。その中のひとりは、ずっとバスケットボールが好きでやってきたのですが、プログラムからの適正によると、射撃が向いているというので、悩みながらも射撃をはじめたら、あっという間に世界大会で銅メダルを取ったということが報道されていました。

このプログラムの是非は置いておいたとしても、私たちはいろいろやってみて決める、という事をもう一度見直さなくてはならないのではないでしょうか?そのためには、膨大な「これやって何になるのだろうか?」という時間と、労力が必要になってきます。世の中が安定していて、みんなが同じような方向で走っていればよかった時代は終わろうとしています。これからは、世の中がどのように変わっていくのかを予測したり、変わったということを自分なりに解釈し直して、新しい価値観を身につけなくてはならなくなるでしょう。子どもの遊びでは、その時々の状況と構成メンバーで、ルールがコロコロ変わっていきます。そうすることでより遊びが楽しくなるからです。いろいろとやってみて、様々な場面でどのように考えて動けば集団が最も力を発揮しうるのかという経験や勘のようなものは、じつは昔の遊びのなかに詰まっているように思います。

私たちの北星学園にとっては、学びや出会いの場をどれだけつくるかが重要になってきます。総合学園である強みは、学生・教職員にさまざまな立場の人が、それこそ総合的にいることです。それぞれの持ち場で力を発揮している人々(個)が、もっと大きなフィールドで連携し(集団)、事業をなして(遊び)いけば、学生・生徒にとっては、より多くの事を経験することができ、より大きな力をつけていくことができるのだと思います。

学園内で、小さなものからでもよいので、多種類の人が集まって何かを形にしていくことができていければと考えています。

今年の学園祭のテーマは、「愛があれば都市の差なんて」です。

とても面白いテーマだと思いました。見たときに思わずクスッと笑ってしまう表現なので、記憶にきっと残ります。うまいなぁと思いました。たしか5月に行われた「1年生研修会」のポスターにも「いつ行くの?」「1研(いま)でしょう!」と流行の言葉をしっかり取り入れていて、感心しました。ただの言葉いじりではなく、多くの人に知ってもらい、興味を持ってもらおうという、強い想いをうかがうことが出来ます。

学園祭のテーマも本校の特徴である、全国から生徒が集まって来ているという事をよく生かしたものです。東京や大阪、名古屋などの大都会から来ていたり、地方の都市、さらには自然たっぷりなコンビニなんてない、という場所から来た生徒もいます。そうしたさまざまな地域から来ているということで、この2学期の始まりも各地のお土産がクラスや下宿で出回ります。それあ小さい出来事かもしれませんが、より大きなこととしては、生活してきた場所の違いがあることで、一人一人の語る物語が面白いということです。本を読むのと同じで、他の人の人生や考えに触れるということは、その後のより豊かな生き方に結びつきます。都市の差ならぬ人の差を大切に生かしていくというメッセージをあらためて素晴らしいと思います。
学園祭は楽しいお祭りであることも大切ですが、その取組みの中で「違い」をすり合わせながら一つのものを作り出していくという大切なミッションがあるのです。競争・個人主義がどんどん入り込み、多くの生きづらさを抱える若者があふれ出している今だからこそ、こうした本当の学園祭の意義を確認しておきたいと思います。

スタートラインに立つ

本校は創立当初から、いわゆる偏差値の輪切りの中で、地域の公立学校へと行くことができなかった「15の春を泣いた」子どもたちの受け皿として存在しておりました。また、キリスト教主義の学校でもあり、「暗闇にあって星のように輝く」ために、ある時期、光の当たらない部分に生きる子どもたちに、ギラギラとした光というよりは、ともし火のような、しかしながら、長―く周りを照らし続けることのできる人間関係を築くことを目指してきたように思います。

自己責任、競争、成果主義などの追い込みによって、いじめ、自死、自尊心の低さなど、現在においても同じような問題が繰り返されているどころか、発達障がい、虐待、引きこもりの高年齢化などの問題が、新たに重複して表出してきています。そうした中で学校は何ができるのかを改めて考えなくてはならない時期に(遅いかもしれませんが)きているのですが、現実は新聞をにぎわせている相変わらずの状態です。しかし、私は学校だけではもはやこうした状況のなかで解決策のすべてを見出すことはできないと考えており、むしろできないからどうする?というところから始めるべきではないかと考えています。できない、というところから始めることで、なぜ?という問いが生まれ、どうする?というところへ早くつながるからです。それをできているという前提でいると、何も変わらないと思います。

本校では育ちに携わる機関・人と、垣根を作らず連携し続ける方向に舵を切ろうとしています。 数多くの子ども・若者を支援するNPOや行政の機関との出会いを通じながら、どのような支援の連携の形ができるのかの模索に入っています。さらには教育の中身について客観的な視点を持つために、北星学園大学、北海道大学、和歌山大学、福岡県立大学などの大学とのつながりを通じて、様々な角度から、研究の対象にしていただいています。

「できない」大きな要因は、教育がニーズのみで動いているからだと考えています。大阪市立桜ノ宮高校で起きた痛ましい事件はそのことを如実に表しています。親や受験生のニーズに答えるために異常事態を感じながらも黙認する風土が学校に出来上がっていました。しかしこうしたことは、今に始まったことでもなく、この学校の特殊性でもなく、日本全国にある問題であるという認識が重要です。ニーズを無視しろと言っているわけではありませんが、しっかりと教育機関が社会を見据え、育ちに本当に必要なことは何なのかを逆に作り出していく機能がないことが問題なのです。しかしその機能をうまく働かせるのは教育機関だけではなく市民そのものでもあります。つまり私たち大人(保護者・支援者…)が社会に合わせるのではなく、つねに社会を作っていくのだという価値感を持ち、本当の豊かさとはなんなのかということを考え続ける必要があります。有史以前からの「捕りすぎ、使いすぎは自分の首を絞める」という明快な教訓を現代人である私たちも生かせずにいるのです。いま子どもたちに起こっていることは、社会にたいするNOというサインです。社会を変えなくてはならないし、変えるのは政治家でもエライ人でもなく、私たち市民だという事をかみしめながら、教育にあたっていきたいと考えております。

「それをやったらどうなるの?」という想像力の欠如。

それが現代の大きな問題だと思いつく帰り道。

たとえば公害。いまだに水俣病の認定・謝罪・補償についての曖昧さが取りざたされる。1956年からだとすると、実に57年間がかかっている計算になる。経済成長と同時に色々な便利さを享受してきた私たちだが、同時に例えば先の公害のような事例を枚挙に暇がないほど作り出してきたのも事実である。結局はそれやったらどうなるの?ということを真剣に考えてこなかった左証である。

こうしたことはなにも政治とか、国家のような大きな問題ではなく、すぐ目の前に転がっているというところから始まっていると見るべきではないでしょうか。

最近、「いつやるの?今でしょ!」というヤツが流行りました。使うと結構生徒諸君にウケるので、乱発するのがオジサンの悪い癖なのですが、これもよく考えると、危ないなぁ、なのです。つまり先のことを考え抜いた上に「今でしょ!」であればまだいいのですが。「今兎に角やりたいから、やるんだ!」という幼児的感覚を増強するものである危険性もあるのではないか、とも思ってしまうのです。

そして残念ながら言っている人の思想とは裏腹に後者に流れていくような気がしてなりません。個人・家族・友人・コミュニティーレベルで「それやったらどうなるの?」が深く考えられていない状況が多くなっているのではないか?いじめ・体罰・虐待などは、かなりこれとリンクしているように思います。

「嘗められているから、あいつぶっ殺す」という生徒を私たちは、そういう解決の仕方はダメだと指導するわけです。では、国が嘗められているから、事によっちゃあ、相手をぶっ殺す!という方向って一体どういうこと?と想像力を働かせてみるわけです。

2013年5月21日 

北星学園余市高等学校
校長 安河内 敏

学校からのメッセージを始めます。

今年度は本校は60名の新1年生と7名の2、3年の編入生の67名の新しい仲間を迎えてのスタートです。全国からいろいろな「物語」を持って集まったみんな!それを紡ぎながら、一緒にいろいろな経験を積んでいきましょう。

今までのホームページでは学校の理念や仕組みを伝える部分としての「学校紹介」、「本校の教育」、「学校生活の紹介」がありました。これに加えて、そうした理念が日々、刻々と変化していく学校生活の中でどのように息づいているのかを知っていただくために、ブログ形式の「北星余市は今」や「動画で見る北星余市」のコーナーを設けています。

さらに加えて、私、校長からのメッセージブログを始めます。

それは学校という「場」のありかたが、現在を含め未来を見通して、大きく問われていると感じているからです。そうした中では、学校内のプログラムだけでは解決しえない状況がどんどん生まれています。

例えば、素晴らしいプログラムがあったとしても、町からどんどん若者がいなくなっていく地域にあっては、若者がそこで生活しようと思う魅力的な地域づくりに関わっていかなければ、せっかくのプログラムを享受する人がいなくなってしまいます。

こうした事例を学校は多種類抱えているわけですが、学校という「場」や社会にどう合わせていくか?どう所属すればいいのか?誰のいう事を聞けばいいのか?という側面が大きい現在では、こうした問題は解決しないのではないかと危機感を持っております。社会にどう参画し、作っていくのか?自分が何を考え、実行すべきなのか?という方向にシフトしていく必要があります。マニュアルや答えがないこの問いに、日々起きることをヒントに考え、発信するには、ブログの形が良いと考え、このコーナーを作ってもらいました。というプレッシャーを自分に与えながら、小さなことから、大上段に構えたことまで綴っていきますので、よろしくおねがいいたします。
 
北星学園余市高等学校
学校長 安河内 敏

今年度は入学式が例年より少し遅かったせいか、入学式からあっという間にGwとなりました。しかし新入生はこの2週間でも、いままでになかったような雰囲気を感じたのではないでしょうか。

知らない土地での知らない人たちとの共同生活。我が家ではないから、好き勝手もできない…。地元ではないからかってがわからない…。いろいろなことからマイナス思考になるのも今の時期です。

私も担任をしている時に、「辞めたい…」と言ってくる生徒にいろんな話をする時期でもあったなぁと思い出します。アドバイスにもならないアドバイスをして、気休めかもしれないけれど、一緒に頭を悩ませてきました。でも卒業アルバムを見ていつも思うのです…そういえばこやつは一年の時に辞めたいって言ってたなぁと。アルバムの笑顔からは想像つかないのですが、確かにその時期があったと。

だから生徒諸君!そして教員諸君!何年後かの笑顔を目指して行きましょう!

校長 安河内 敏

校長 安河内 敏

2012年4月7日(土)

本日は、北星学園余市高等学校・第48回入学式に、参加されるみなさんへお祝いを申し上げます。ご入学おめでとうございます。
 今年度は、1年生63名・2年生12名、合わせて75名の入学生をここに迎えております。「北星余市」での出発を祝うために日本各地から、お集まり頂きましたことに、重ねて感謝申し上げます。

さて、三寒四温と呼ばれるこの季節、移ろいやすい天候の中、つい3日ほど前は、台風のような風が吹き荒れ、この低気圧に入学式まで居座られたらどうしようとハラハラしていました。
ですから今日こうして皆さんとお会いできたことをひときわ嬉しく思うのです。

しかしながらみなさんは日本中からさまざまなめぐりあわせでこの学校に集まったわけですから、まわりは知らない人だらけです。また、初めての下宿生活だという人も多いでしょう。だから入学の喜びよりも不安の方が大きいのかもしれません。

ですがこれから皆さんが始める学校生活は他のところではなかなか経験できないことがいっぱい詰まったものとなるはずです。
その経験は3年後、あるいは2年後に社会に出ていくみなさんにきっと役立つものとなるでしょう。

みなさんも感じている事だと思いますが、今の社会はとても厳しいと言われています。経済が落ち込み、就活という言葉が盛んにでるほどに就職がむつかしい。安定した生活が保障されずに、先行きの不安からなかなか解放されない。そうした中ひとびとは自分の事を考えるのに精いっぱいで、だれかとつながっていたいと思いながらも、バラバラな状況のなかでなにか成果を出さなければ認めてもらえない競争に駆り立てられています。さらに成果を出したところで、状況が悪くなればあっさり切られてしまう、そんなことすらおこりはじめています。

だれもがこんな社会ではまずいと思いながら、この20年で政権も変わり、15人も総理大臣が変わってもよくなったとはいいがたいです。
つまり誰かが変えてくれるという事ではもういき詰まっているのです。わたしたち一人一人が価値観や考えを変えていくしかありません。成功とはなにか。良い暮らしとはどのようなものか。いままで向かっていた方向を変えない限り現状は良くならないのはたしかです。

そのようななかで先の東日本大震災がありました。この一年確かにわかったことは、様々な事は多くの人の協力がないとなしえないという事ではなかったでしょうか。協力するためには多くの人が同じ目線にたって、痛みも喜びも共有することが大切なのです。そして長く継続することも大切です。
ついこのあいだ皆さんの先輩である45期生が卒業していきました。その上にもたくさんの先輩たちが社会に羽ばたいています。最近フェイスブックのような便利なネットワークがあるので、かれらが卒業後も全国で繋がっていることがわかりました。みなさんもこれからさまざまな行事でOBとなった先輩たちが学校に遊びに来るのを目にすると思います。それはとても珍しい事だと思います。生徒に限らずPTAの父母の方たちも卒業後OBになってもさまざまな行事に参加してくださいます。

どうしてそのようなつながりが続くのかは、皆さん自身がこれからの学校生活で経験することと大きく関係します。
それは前にも言いましたが、辛い時も楽しい時も同じ仲間として一緒に学校生活を送ることと、年齢や出身地、育った環境、考え方、生活の仕方などまったく自分と違う人と接し、排除するのではなく多くをその人から学ぶ環境があることなのです。

内田樹さんという思想家がこれからの混乱する世界にあっては、一人の力などたかがしれていて、仲間をつくって乗り越えていく力がとても必要であり、また人は他者のために動くときに最大の能力を発揮する。ということを述べています。
みなさんが卒業するころにはきっとこの力がかなりついていることでしょう。またそのように願ってやみません。

本校はキリスト教教育を柱としています。聖書にあなた方はキリストの体であり、また一人一人はその部分です。という御言葉があります。まさに人々がバラバラにされそうな今、皆さんが得たことを持ち寄って社会をつくるひととなってほしいと思います。
そのために私たち教職員は保護者の方や下宿の管理人さんと手を携えながら、とことんみなさんとおつきあいしたいと思っています。いっしょにいろいろなことをやっていきましょう。

これをもちまして歓迎のあいさつとさせていただきます。本日はご入学おめでとうございます。

2012年4月7日
北星学園余市高等学校 校長   安河内 敏

 

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