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理念や指導方針

教員はいま

<文:校長・安河内敏>

※下記は2014年4月12日に執り行われた第50回入学式の式辞です。

ご入学おめでとうございます。

今年度は、1年生59名・2年生名5名、3年生2名の合わせて66名の入学生をここに迎えております。「北星余市」での出発を祝うために日本各地から、お集まり頂きましたこと、関係者各位に、重ねて感謝申し上げます。

さて、みなさんには今の社会はどのように映っているでしょうか?

スマートフォンを持っていれば、なんでも調べられるし、誰かといつでもコンタクトできるし、ゲームもし放題!時間もつぶせるし、便利な社会だからいいんじゃない?と考えているでしょうか?

それとも、結局は人なんか表面上のつきあいで、バラバラなんだよ、でも独りぼっちはいやだし、合わせるしかないか。疲れるなぁ?と考えてきた人もいるかもしれません。

なんだか就職も厳しいし、ブラック企業なんてものもあるらしい。でも生活のためには稼がなくてはならないし、なんだかこの先楽しいことなさそう・・・まぁ、だから今楽しまなきゃ損!と思っている人もいるでしょう。

どのように考えるかが正しいのかをいま述べるつもりはありません。なぜならば正しいのか、正しくないのかは、今はたいして問題ではないからです。

たとえば昔、そんなんだったら、まともな大人になれないよ!と言われたことないですか?

私はよく言われました。お恥ずかしい話ですが、私は面倒くさがりだったので、すぐにサボることを考えるタイプでした。ですからコツコツと努力しないおまえはロクなやつにならないと言われてきたのです。それでまたそうやって怒られること自体が面倒くさいので、最小限の努力で文句言われない結果を出すためにはどうしたらいいのか?という方に能力を使うことになってきました。そのためには今何をしなくてはならないのか、状況の正確な把握が必要になり、観察する力がついてきました。面倒くさいことを回避するためにはどのように振る舞うのが一番なのかと…われながら、なんだかすごくはしょっこくて、嫌なやつに見えてきますね。

ただ、先ほど出てきたスマートフォン。便利でいいじゃないという人が使っていると思うのですが、同じようにさまざまな便利なものがたくさんあって、よく考えると便利なものは、面倒くさい、もっと楽できないかなぁ〜と考えた人が発明してきたのではないでしょうか?ということは、発明した人も使っている人にも「ロクな人間にならないよ」というべきなのでしょうか?
現実にはそういう人もいるし、そうではない人もいるということではないでしょうか?

たとえば、ボタン一つで大量の人を殺せる装置を作る人もいれば、障害を持った人でもハンディを感じずに生活できる装置を発明する人もいますよね。そして難しいのはどちらともいえないような物も多いことなのです。同じものが人を生かしもするし、ダメにもする。どのようなものが、なぜ、それにあたるのかを考えることが実は本当の勉強でもあるのだと思います。ロクな人間にならないと断じることは簡単ですが、断じることよりも一緒に考えることが、大切なのではないでしょうか。

もうひとつ個人的な話で恐縮ですが、面倒くさがりの私は、困っている状況をほっておけないという、あい反するような性格の持ち主なのです。これはとても悩みの種でした。だって、え〜面倒くさいな〜と思いながら、なんとか助けなくては〜となるわけですから。おまえどっちなんだ?ということを人に言われるまでもなく、自分で感じているのです。

しかし、考えてみればそれは自分だけかというと、そうでもなく、人々は複雑な相反するものをもっているはずなのです。ただ、多くの場合、いい面だけをいい面として残し、悪い面を悪いものとして見ようとしないか、抹殺しようとすることで、解決を図ろうとすることに問題があるような気がします。

ところが私で言えば、面倒くさいという悪く見える部分で、観察力が身についたし、ほっておけないという良く見える部分で無理をして疲れて、「なんで自分だけがこんなに苦労しなくてはならないんだ」というマイナスの心が生まれたりするのです。

みなさんには、もし自分という存在が一方向だけでしか見られていないなと感じた時には、投げ出さずに、本当にその面だけしかないのかを考える姿勢を身につけてほしいと考えています。考えるだけではなく、もちろん自分が実際に行ったことに対する責任は身に受けなくてはなりませんが、だからといって終わりではなく、次がある存在なのです。そのためにみなさんには、いろいろな人との関わりが保障されるべきなのです。特に同じく学校生活を送る仲間の存在はとても大きく、高校卒業後の人生をも支えあう関係になりうる人たちです。一時的には傷つけあう事があるのかもしれませんが、皆さんの先輩はそこを乗り越えて卒業していったのです。ぜひこのことを頭の片隅に置いておいてくれれば幸いです。

本校はキリスト教主義の学校です。
今年の年間聖句に、
「ひとつの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、ひとつの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です。」
(コリント信徒への手紙12章26節から27節)
とあります。

個人でも集団でもそのなかの小さき一つのものまで大切にされる。
そうした学校生活を守っていきたいと思います。

そのために私たち教職員は保護者の方や下宿の管理人さんと手を携えながら、とことんみなさんとおつきあいしたいと思っています。どうかよろしくお願いします。たくさんの高校時代の思い出をつくっていきましょう。

これをもちまして歓迎のあいさつとさせていただきます。本日はご入学おめでとうございます。

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