実生活について
実生活について
中学1年後半までは真面目に勉強も部活動もしていた平凡な中学生。8つ上にいる兄の影響でタバコに手を出し始め、家族との接し方がわからずに家に帰らない日々が続きました。「やれば出来る子」「本当はいい子」って言葉にプレッシャーを感じ鬱陶しくなり、家族へ対しての想いは<殺意>のみでした。その頃は家族という関係が邪魔でした。馴れ合う気もない。16歳の冬に傷害事件を起こし、弁護士が北星余市の存在を知っており、高校に行くか少年院かという究極の2択を突きつけられ最初は少年院を選びました。地元から離れてまで自由を手放したくなかった一心で決断しました。ですが、母親に北海道旅行に行くと騙され面接を受けて受かってしまい、それでも行かないと言いましたが兄の圧に負け、北星余市への入学を決めました。
知らない人、知らない土地、知らない学校。ぶっちゃけ不安しかなかったですし、馴れ合うつもりは微塵もありませんでした。ただただ時間が過ぎれば地元に帰れるというただ1つの希望があの時の自分を動かしていたと思います。ですが、家族の顔も見なければ家族の存在も気にする必要もなかったので、その点では最高の土地という解釈もありました。
毎日同じような日々、次第に意気投合する友達も出来ました。ですが、信用できない部分もありました。「こいつは嘘をついてる」「あいつは見栄を張っている」「そいつは話を大袈裟に言っている」下手な勘繰りを繰り返し、深い関係を持った友達は半年はできませんでした、今だから言えますけどね。笑
でも、1つ上の先輩に自分の唯一好きな事と呼べるサッカーがとても上手い人がいました。すぐに入部を決めて、その部活動の時間だけが毎日の楽しみでした。身体も動かせるし、先輩相手だから深い関わりもそんなにすぐには持たなくて済むし先輩ありがたいなー。って感じでした。
前期生徒会副会長をしていた半年間、あれが今の自分を作った時間です。強がったり、悪い事してる自分カッコいいみたいな部分が恥ずかしい話ですけど18歳までありました。社会的に禁止されている事(未成年喫煙、傷害など)カッコいいみたいな。(笑)行事に積極的に参加したりとかその部分も確かに良き思い出です。
だけど、その時の顧問の学先生。生徒会が始まったばかりの頃、地元とのイザコザや自分の不甲斐ない部分が表に出始め否定されていると勘違いしていた時です。雨が降っていたので下宿まで送って!と、軽いノリで言い送ってもらっていた最中、先生に「とも、大丈夫か?元気ない気がするなぁ。」と言われたあの言葉が一番鮮明に覚えている事です。カラ元気にはしゃいで表には出さず、消灯時間が過ぎてからひたすら歯食いしばって我慢して<生徒会 役員>というその言葉の圧に耐えるのに必死だった時でした。
その時は平気なフリをしていました。帰ってから部屋の鍵を閉め枕に顔を押しつけてずっと泣いた。気付かれないようにしてたのに、内心気付いて欲しかったんだなって。気付いてもらった事で今まで張りっぱなしだった紐がプツンと切れた感覚でした。先生は覚えてないかもしれませんが、これが俺の思い出。あの時気付かれてなければ、心から感謝を言える状態ではなかったと思います。
刺激的。誰かが笑い、誰かが落ち込み、それを誰かが気付き、誰かが励ます。そんな日常の中で本当の友達ってモノを教えてもらいました。
悪い事してる時隠してるのが当たり前だった事が、間違っている事を指摘する事が当たり前へと変わりました。
今思い返してみれば3年じゃ足りなかったな~って。大学みたいに4年間通えれば、もっとちゃんとした人間として社会に飛び込めたのかな?って思ったりしてます。笑
大学に行くはずだったんですが、今まで苦労をかけっぱなしだったのに大学の費用も払ってくださいとは言えませんでした。現実、ものすごく行きたい。もっと色んな事を学びたい、もっと色んな人間と関わってみたい。ですが、そこまでワガママ言えませんでした。行くなら自分の金で、と思い今は仕事をしています。職人をやっていたのですが、高校卒業を手にした今職人をする理由がわからなくなり辞めました。
今は元々好きだったファッション、アパレル店員として好きな事を勉強させていただいてます。楽な事はないってこれなんだな、社会が厳しいってこれなんだなって、毎日のように痛感させられています。
自分が今まで知っていた教職員は、過去の自分に向かい多々非道な言葉を浴びせてきました。「来なくていいよ。」「あ、居たんだ?」そんな心ない発言がありました。学校の邪魔者扱いをされ、ゴミを見るような目で見られていた僕の周りにいた生徒は今、高卒認定を取得しています。自分の後輩が元々通っていた学校に進学し問題を起こした時、「あいつの後輩じゃ無理もない」と言っていたそうです。その言葉で後輩は怒り、手を上げました。もちろん退学になりました。自分が高校卒業した事を知った際にまた別の後輩に言ったそうです。「あいつでも卒業出来る学校か。」って。俺は一生恨みます。
ですが、前の自分のやり方では仕返しはしません。立派な人間になって見返してやりたい。未だにこのような教職員が教壇に立っている都立、私立がある。それを知らない親、子供が多すぎる。その教職員が高校時代どのような努力をして教壇に立てたのかは自分にはわかりません。ですが、北星余市では勉強以上の「価値」ある時間をいただきました。勉強は答えがすでにある。そんなの誰がやったって時間かければ出来る。だけど、自分を育てる為の勉強にいくら時間を費やしても答えは見つかりません。答えは無いのかもしれません。ですが、そこにかける時間は自分の成長へと繋がる有効的な時間なのは間違いありません。北星余市では、頭が良くなるのには時間はかかる。ですが、それ以上に人間として良くなる時間はもっともっとかかる。それがマイナスになった事は過去振り返って1度もなかった。
今、かつての自分には、こう伝えたい。親は寂しがってるし、心配ばかりだろう。家にこもってちゃ何も得られない。家に帰ってこなきゃ「メシ食べてるのかな?」と夜も眠れない思いをしているはず。双方どちらをとっても心配で心配で仕方ないと思う。
俺は14歳~18歳までの4年間を本当に後悔してる。もし、ちゃんと生きてたらもっと母さんのメシが食えたのかな?もし、ちゃんと生きてたら父さんともっと出かけられたのかな?と振り返るたびにそう思う。
俺は身近のとても大切な人間を亡くしてる。自分の親や友達はそんな簡単には死なないって思ってるだろう。同じ事を思って、俺はその考えを何度も後悔した。
後悔ない人生を歩むなんて出来ないけど、切り替える事が可能になるような後悔の仕方をしてほしい。今って時間は帰ってこない。家族、友達、恋人、明日になったら居ないかもしれない。逆に自分が居なくなるかもしれない。人間と生死はいつも隣合わせ。
もし、かつての自分と同じような子どもたちが、これを見て「何か」を感じてくれたなら、親に話しかけてあげてほしいと思います。小さな事でいい、挨拶でもいいから。心配を少しでも減らしてやってください。今、自分が抱えてる悩みよりずっと、ずーっと親が抱えてるモノはデカイ。「今いる状況」と、真剣に向き合って下さい。
北星学園余市高等学校
〒046-0003
北海道余市郡余市町黒川町19丁目2-1
Tel 0135-23-2165(職員室)
Fax 0135-22-6097(職員室)
© Copyright Hokusei Yoichi High School. All rights reserved.