実生活について
てか廊下の日めくりカレンダー見た!??学校に来んの、今日入れて残り3日だよ!??ヤバくない!??てか悲しいんだけど、フツーに。
学校に来る日なんか、もっとあると思ってたのに、気づいたら少なくなっていた。特にやり残したことがあるわけじゃあないけど、「ある」と思っていたものがないから、悲しい。
普通の学校生活。朝学校に来る。本間が整骨院で朝いなくて喜ぶ。遅刻して怒られる。少し喋ってから朝のH.R.をして、短い休み時間に職員室に行く。大虎に弁当をもらう。授業をしてまた職員室に行く。オススメの映画の話をする。週末どこかに出かけるかとか、うまい飯屋を見つけたとかっていう話をする。授業が早く終わってリュウタの顔に化粧をして遊ぶ。昼休みにボランティア室で大富豪をする。誰かと誰かがくっついたとかっていう話をする。雪が降り始めたら中庭で雪合戦をして玄関ロビーを濡らして、怒られる。帰りのH.R.の後、遅刻をしたから掃除をさせられる。
放課後は放課後で、スポ大のバレーの練習でピリつく。卒業アルバムの写真選びで、懐かしむ。失恋した友達を、励ます。髪型が渋い話をする。卒業後、どうするのかの話。人の進路にも、口を挟む。合唱練習に残んない奴を引き止める。寒いねって話をする。初めてバンドやろうって話になって、それを流さずに、放課後練習する。
休み時間や放課後、休みの日に、たまたまそこに居た人たちと「あいつはこういう所がほんとに良くなったよな、めっちゃ変わったよな」とか「あいつのああいうところ、ほんとにどうにかしたいよな。ここが良くなったらもっといい」とかいう話に、自然となる。
これらの日常がなくなると思うと、寂しいです。
でもそう思うようになったのは3年生の夏くらいで、そこから日に日に強くなっていきました。
1、2年生の中には、自分のことを「てか誰?」て思ってる人もいるかもしれない。
1年の頃の自分は人と関わることで、自分も含め人が変わるということを知らなかった。自分や自分らが楽しいのが1番という思いが強くて、他の人たちと積極的に関わろうとしてこなかった。
2年生の途中から本間に「あんたは、しっかり人のことも状況も見えるし気づけるし、誰かの何かのために動けるのに、それをやってる時とやってない時の差が激しいのが勿体ないしムカつく。そのスイッチのオンオフを何とかしろ」と言われるようになった。
スイッチがオンの時は周りの人が視界に入っていても、そうじゃない時は迷惑をかけていたと思う。そしてそれを指摘されても、別にいいや」と思って、スイッチをオフにしてダラダラしている事が多かった。ずっとオンでいるのは疲れると思いこんでいた。
今になってみるとオンにしている間は面倒臭いとも思わないし疲れない。収穫が多くてそれがエネルギーになっているのか、逆にオフにしていた方が何をするのもダルい事に気づいた。それに気づかずオフにしていた時間がもったいないと思う。
生徒会も最後までやり遂げられていたら、とか、〇〇ともっと話して仲良くなっとけば良かったとか、クラス役員や自分ができることをもっとしておけば良かったと思うのは、卒業が近くてそういった機会が少なくなったからだと思う。
でも、1年の頃の自分のままだったら、そんな考えにはなっていなかったと思う。
自分が変わったきっかけは、まず何でもやってみれば思っていたより楽しいし、達成感があって人の役に立てて、たまには足を引っ張んないで済む事に気づけたからだと思う。それを繰り返してたら、頼られることも増えて嬉しくて、またスイッチをオンにしたりもした。逆にオフにしたら「やればできんのに」って責められるのが嫌なのもあるけど。
1,2年生のみんなへ。
何が言いたいかというと、出来ないと思うことでもやってみれば意外と出来たり、周りも助けてくれるし、楽しかったりする。話した事がなくても、話してみれば気が合うこともあるし、その機会を待つんじゃなくて自分から話しに行った方がいい。行事に限らず、何事もちょっと出しゃばった方が楽しい。やり過ぎはだめ。3年間は本当に短い。3年生の卒業間近になって俺は気づいたけど、やりたい事、食いたいもの、行きたい所、出来ることは面倒臭がらずに今すぐやった方がいい。後から、やっとけば良かったって後悔するのは勿体ない。
54期生のみんなへ。
自分が自分なりに変われて、それで良かったと思えるのは、この54期のみんなに教えられて、叱られて、気づけたからです。
全部みんなのおかげです。この期で3年間過ごせて良かったと思うし、とにかく楽しませてもらえた。
困った時は助けてくれて、暇な時はかまってくれて、頼ってくれて、遊んでくれて、勉強教えてくれて、ありがとう。
足引っ張ったり、迷惑かけたり、余計な事言ったり、謹慎入ったりしてすみませんでした。
お元気で。