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生徒の声

2021.3.9

ほんまに北星余市で高校生活できて良かった!

2020年度 卒業式答辞 藤井 琉太2020年度3年生

答辞

 まず、この答辞を書きながら思ったんは、果たして俺は最後までちゃんと読めんのか? 当日ボロボロやったらそれどころちゃうぞ、いけるか?俺って。案の定ボロボロです。

 まあそれはそうと、長いな~って感じとった時もあれば、やろって感じた3年間が今終わろうとしてます。1年の時はほんま長かったな。北海道なんか来たくないとこ強制的に行かされて、どこの誰かも分からん子らとめんどいルールがある共同生活。学校行ったら行ったでやかましい担任と、気なんか絶対合えへんって思う子ら、何もしゃべらん子ら、変な虚勢を張って上下関係築きたがる子ら。「俺そんなん中学生で通ったぞ」とか思てた時もあった。今考えたらバリダサイ。そんな感じで始まった北海道生活。みんなも少なからずマイナスな気分で始まった子らが多い思う。

俺はそっからここまで変わるんやと思いながらも、「こんな所おっても気合う奴おらんし、ほんまに成長できんのか?」「地元のんが気楽で俺の事わかっとるし学校やめよ」。標準語にさえも嫌気が差す時があった。やから親にも「ここおっても変わる気せんし、もう地元おっても大丈夫や、十分やっていける」とか言うて何回もやめるやめる言うたり、長期休みの終わりとかも余市に帰りたくないっていうのが当たり前。今考えたら、成長しに来た言うてる割には何も自分からアクション起こさずただ地元に帰りたいだけの逃げ腰やった。もう一度言う、今考えたらバリダサイ。藤井家の皆さんすいませんでした。

 ほんでそんな感じで仕方なく続けとったら、まあ単純なんやろな、それなり楽しくはなって来る。

 でも、2年の1学期に俺は思い知らされる。それは俺ら一部だけが楽しいと思ってるだけで、それ以外の子らにとったら、なんもおもろないしむしろ迷惑って思われてるって事に。その頃の2年生は、もうえげつないもんやった。もちろん全員ではない一部やけど、学年全体にそおゆう空気は流れとった。授業中は好き勝手立ち歩くわ、関係ないことで喋り倒したり遊んだりして授業を止められたり、誰かが出されたり、授業を投げられたり。行事は行事で、準備や話し合いは何も参加せんくせに当日はちゃっかり出て楽しんだりしとった。そんなヤバイ状況やから、5月くらいの放課後「これからどうすんねん」みたいな話し合いを本間ちゃんとクラスの何人かでしとったから、「俺ってどう思われてんやろな」思って軽い気持ちで言ってみた。ほんならそこは完全アウェイな空間。「あかん、来る場所ミスった」そう思いながらもあいつらに比べたら俺はまだ優しい方やしそんな言われへんやろ思てたら、いつも喋ってんのあんま見た事ない気弱そうな女の子から「生理的に無理です」と言われた。俺はこんな子にそこまで言わせる程やったんかと、そん時いた他の子達にも色々言われて思い知らされた。けど、ショックよりも絶対仲良くなったろ思て燃えた。あん時言うてくれてありがとう。

 それをいつもヤバイ子らに言うたら、びっくりしとって「お前めっちゃ言われたな~」「でも言われてしゃーないぐらいやな」「気をつけて行こ」ってなった。俺は正直なんやねんあいつらとか文句言うんちゃうか思てたから、それにもちょっとびっくりした。ほんで自分らなりやけどうるさくなってる思たら注意し合ったりした。ほんならみんなで頑張ろっていう雰囲気が伝染したんか、普段言われへん子らからも「気緩んでんで」とか「うるさい」とか言われる様になって来てなんか嬉しかった。俺は気づいた。俺はドMかもしらんって。

 そんなとこで色んな子らとも関わる様になって、この子実はめっちゃ天然とか、おしゃべりとか変なこだわり持ってたり、すごい才能を持ってたりと、この子こんな所あったんやとか自分にない所とかあって面白かった。みんなもこれは、この3年間で色々気づいたり、見たりして思ったと思う。この感覚ここ卒業しても大事にして行こな。絶対人生もっと面白くなると思うから。

 ほんで俺は、クラスの子らにクラス委員長に推薦された。そして当時大ファンやった女の子に委員長やってって言われて即答「はい!やります!」。こんな時俺はもしかして何人かに頼りにされて期待されてる?て思って内心めちゃくちゃ嬉しかったんを覚えとる。みんなも要所要所色んな場所で誰かに頼りにされたり、期待されたりして嬉しい気持ちになったり、よっしゃ頑張ろって思う事があったと思う。ほんで逆に頼ってええんやってゆう関係性も出来ていった思う。俺はそんな場面や雰囲気をいっぱい見て来たし、感じとって素敵やなと思ってる。これからもそんなことはあると思う。そしたらそれに応えてみるのもええと思う。卒業した後でも、北星みたいに何かしら収穫があると思うから。

 そして2年生の学祭は、春のあのヤバイ状況からは考えられへんぐらいのええもんに仕上がった。もちろん最初から順調な訳無かった。ちなみに俺らの合唱は、「2人はプリキュア」を歌ってんけど、それを嫌がってる子もおった。まずハナから行事というのに興味がない子もおった。でもみんなで作っていきたかったし、みんなでやるおもろさを分かって欲しかったから、そう思っとる子らで「あの子どう巻き込む?」とか、まずは俺らの「みんなでやりたいねんっ!」てのを分かりやすく出していかなな~とか色々話し合ったり行動したりした。ほんなら照れながらも楽しそうにやってたり、急に熱入ってええ意味でイキり出す子もおったりでみんなで一つんとこに向かって走ってる雰囲気でわくわくした。ほんで学祭当日、合唱の最後はみんな手でハートを作る約束やったけど、さすがに全員はきついか思てた。やのに、後でその時の写真を見たら全員ハート作ってて、あんだけ最初は嫌がてたばんしょうですら作ってた。そして店も大評判。「もう何これ、最高やん!」とそん時一緒にプリキュアのコスプレしとった相棒と本間ちゃんで学祭を振り返っとったら本間ちゃん号泣。今までの事を思ったらすごく愛を感じた。

 そしてそこら辺からの時間の流れはばり早かった。あっとゆう間に3年生。コロナに3ヶ月奪われながらも、残りの生活を悔い残らん様にみんな全力でしたい事したいっていうエネルギーに満ち溢れていた1年やった。やから、毎日毎日アホみたいにオモロイ事が起きるし、学校行くんが楽しかった。最初で最後の運動会も最後の学祭も最後のスポ大も全部に最後がつくのを噛み締めながらみんなで出し惜しみする事無く全力で楽しんだ。もう何をするにしても「俺ら54期やったら全力で楽しめる気しかせん、もう無敵や!」思た。

 俺はここまで色んな事を乗り超えてそう思える様にまでなった54期が大好きや。友達の駄目な所に気づいたら流さず一人一人真正面から向き合う、そんな54期が大好きや。生徒会も一人一人が大事な部分を持って一人じゃ出来ん事を12人で出来たからこそ大成功出来たと俺は思っとる。そんな生徒会が大好きや。

 ほんまに北星余市で高校生活出来て良かった!今思ったらこの3年間の当たり前にあった日常ももう再現出来へん事がいっぱいある。

 いっつも誰かが遅刻してなかなか全員集まらん朝のHR、体育の後の授業の静かさ、長いって感じる授業に対して一瞬で終わる休み時間、テスト前に焦ってやる一夜漬けの勉強、結局赤点で友達とけなし合うテスト返し、全部バレとんのに何かとあらがおうとした指導室、突然始まるカラオケ大会、友達のめちゃくちゃ下手なドッキリ&イタズラ、もし彼女が出来たらとかゆう友達とのアホみたいな妄想、ドキドキした好きな子との帰り道、毎日誰かに借りたシャーペン、いつも聞こえてくるギターやドラムの音。

 卒業はやっぱり寂しい、けどここで色んな事気づいて、気づかされた俺らならここを卒業して他ん所でももっともっと楽しめるはずやからそん時は、キラッキラした顔のみんなと飲みながらでも昔のこと今のこと色々話そうや。電話絶対1コールで出ろよ!

 ほんで在校生のみんなへ。俺は正直この54期超える学年は出てくるか?って思ってるからまた俺らがみんなを見に来るまでに、「自分達は54期超えたっすよ」ぐらいの自信満々の表情で全員で楽しんでんのを期待しています。残りの学校生活、悔い無いように出しつくしてください。

 ほんで54期のみんな、最後の最後まで楽しんで最高の卒業式にしよ!

 ほんまに色んな物をくれた北星余市、3年間お世話になりました。ありがとう。

 

2021年3月6日

卒業生代表 藤井 琉太

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