愛おしい、魔法の時間

2018.10.10 コラム

3KGのデザイナー

石田愛実

MANAMI ISHIDA

中学時代、映画も漫画も本も音楽も、とにかく破壊的なものが好きだった。週に一度レンタルビデオ屋に行って、ホラー映画コーナーの「あ行」から順番に7本借りて、1日1本ずつ鑑賞する。学校から帰ったら親のパソコンを開いて「プログレッシブ ハードコア」「日本 ノイズコア」などのキーワードで好みの音楽をディグる。家族とも友達とも関係は良好で、生活に不満なんてない。でもなんだか憂鬱でつまらない。何が足りないのかわからない。映画を観たり音楽を聴いてる時だけ気分が高揚した。

高校に上がると、「暇つぶしになるかなぁ」なんて軽い気持ちで軽音楽部に入部した。部員は80年代ハードロック・メタルしか聴かない奴もいれば、弾き語りやポップシンガーになりたい女子まで幅広かった。とにかくバンドを組もうと、なんとなく趣味が合いそうな3人が集まり3ピースバンドを組んだ。メンバーは、ベース希望の女の子とドラム希望の男の子。私はギターを希望していたが、余っているボーカルもやることになった。妙に気が合うメンバーとは部活仲間というより親友になった。私はノイズバンドのCDを貸して、メンバーからは70年代サイケのCDを借りる。CDを貸し借りするときのdisk unionの袋が私たちのステータスだった。クラスには友達がほとんどいない。毎日授業が終わるのが待ち遠しい。居場所は部室だけだった。

3年に上がってすぐの頃、ライブハウスの人から「付き合いのあるレーベルからお願いされてるんだけど、君のバンドをコンテストに応募していい?北海道地区の応募数が足りないらしいんだよ。」と連絡がきた。こんなマニアックなバンドをメジャーレーベルが評価するわけないだろうと思いながら二つ返事で快諾した。1 ヶ月後、1次審査通過、2次、3次通過、気がついたら東京ビッグサイトの野外ステージで1万人の観客を目の前に演奏していた。一体どういうことなんだ。信じられない。

地面に足がついていない感じ。とにかくみんながこっちを観てる。間違えたらどうしよう。手が震える。声が上ずった。結果、全国3万件の応募からわたしたちのバンドは1位に輝いた。半年後、キューンレコードと契約し3枚のアルバムを出し、3年後に解散した。

26歳になった今、私は会社員として働いていて、結婚もした。単調に繰り返す生活の中で「あの高校時代は何だったのだろう」と、ふと振り返ることがある。勉強もせず、どうしてバンドにあれほどの全力を注いでいたのか、不思議でたまらない。とにかく「音楽が好き!」「大きい音が楽しい! 気持ちいい!」その思いだけで、なりふり構わず、全速力で、確かに突き進んでいたのだ。その無意識の推進力こそ、俗に言う“若さ" ? でも、とってもそんな言葉だけでは片付けることのできない、幻の魔法の時間。私にとっての「高校時代」ってそんな感じ。

文:石田愛実 

 

プロフィール

石田愛実 | MANAMI ISHIDA

札幌在住、3KGのデザイナー。ホラー映画とお笑いが好き。週末は映画館とカレー屋に出没しています。元ミュージシャンとの噂。新婚。

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