バナナ

2018.10.10 コラム

写真家

辻田美穂子

MIHOKO TSUJITA

日本の高校へも通いましたが、将来やりたいことに関する授業を選択できるというオーストラリアの教育システムがとても魅力的だったので、単位の認められないお客様扱いの交換留学生としてではなく、現地の生徒と同じように単位を取得してオーストラリアで卒業したいと両親を説得しました。高校2年生の9月、夢が叶って日本の高校を中退し、晴れて正規の留学生として学校生活が始まりました。しかし、期間限定の交換留学生と違って、現地にたくさんいるアジア人留学生の一人になった私は、珍しい存在でもなんでもなく、むしろ、当時根深かったアジア人差別に巻き込まれます。学校に行くとロッカーにいたずらされている。自分が唯一アジア人の授業に行くと「アジア人くさい」と言われる。話しかけても汚いもの扱いで、まともに話してもらえない。すべて「アジア人」というだけの理由で。いつの間にか自分自身を認められなくなりました。夢の中で私は青い目で髪がブロンドの白人なのです。しかし朝起きると、鏡に映っているのは黄色い肌の、髪も真っ黒なアジア人の自分。見た目は黄色人種なのに、中身は白人のように振る舞うアジア人たちは「バナナ」と呼ばれていました。少しでも白人に近づくために、「バナナ」たちの間で流行っていたオレンジ色のメッシュを入れたりもしてみましたが、いっこうに友達はできませんでした。「私」という個人に対する攻撃ではなく、「人種」全体への差別。それは生まれた時から決まっていて、どう頑張っても乗り越えられるものではないと落ち込みました。自分がどんどん惨めに思えてきて、次第に学校へ行けなくなり、夢の留学生活は一転、想像もしていなかった辛い日々になりました。

3年生になると、理解のある友達が数人できて再び学校に通えるようになりました。その時選択した写真や映画の授業を通して、自分の思ったことを、言葉や態度とは違う方法で人に伝えられることを知りました。大学でもその後通った専門学校でも映像や写真を勉強して、今はカメラマンとして仕事をしています。どうにもならないことを、自分の作るものを通して理解したり、受け入れたりしながら、あの時わからなかったことを少しずつ整理して生きています。

文・写真:辻田美穂子

 

プロフィール

辻田美穂子 | MIHOKO TSUJITA

大阪出身の写真家。祖母の生まれ故郷である「樺太」のリサーチのため、ちょっと札幌に来てみたら、すっかり居心地よく なってしまい気づくと北海道6年目。やりたいことがたくさんあって、人生足りるか心配。

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