北星余市を紹介、生き方を考えるウェブマガジン
―ココロの商社マン―/41期
後宮 嗣
USHIROKU TSUGU
1989年生まれ 北海道千歳市出身
2004年 札幌市の高校を中退
2005年 北星余市高校に入学
2008年 明治学院大学国際学部国際学科に進学
2012年 東証一部上場の商社に就職
ある年の北星祭。PTA恒例企画のひとつ『おやじの焼き鳥』を、当時大学2年生の後宮嗣くんが手伝ってくれました。彼は、ラッパー風にキレッキレの販売員振りで楽しさを演出し、大いに盛り上げてくれたのです。「普通に売ってぇ(笑)」とお客さんに言われて「はい」と返事はするものの、パフォーマンスは止まりません。
そんな型破りなエンターティナー振りを目の当たりにしただけに、その後社会人となった彼から名刺を受け取った時は「あ、普通に一流商社だ。」と、ある種の違和感すらおぼえたものでした。しかし、実際どんな感じで働いているんだろう。そんな素朴な興味も持ちつつオファーしたインタビューが、2019年12月25日の午後に実現。しかも、彼が職場の会議室をおさえてくれるというではありませんか。果たして、御茶ノ水駅至近の巨大なオフィスビル17階にたどり着いてキョロキョロしていると、「お疲れ様です!」といつもの朗らかな嗣くんが登場してくれました。
(聞き手:PTA白土隆)
卒業生キラ星インタビュー
―こんな大企業の会議室でインタビューする事になるとは。緊張するなぁ。
「いやいや、やめてくださいよ(笑)。」
―就職して、もう8年になるんだね。どんな仕事?
「いわゆる営業。我々は商事会社ですから、人員の8割は営業です。僕が今やっている仕事は日本の医薬品製造会社がお客様なんですよ。大手から中堅、中小企業まで。医薬品の研究開発をビジネスにつなげる。技術者が謎の調合で1個作った奇跡のクスリ、みたいなモノをどう安定的に量産して長期保管出来る形態にするか。それを実現するための設備を我々が提案して買ってもらう訳です。例えば錠剤ですね。元々は粉ですから、成分を均一に混ぜ合わせる機械が必要だ、となる。その後、今度は錠剤の形にするプレス機。さらにそれを検査する機械。PTP(プレス・スルー・パック)シートの中に錠剤を入れて、アルミ箔でシールして、それを束ねて薬局に陳列できる状態にまでするっていう一連の工程を取りまとめて、プロジェクトマネージャーとしてお客様のワンストップの窓口になりましょうっていうイメージですね。」
―薬は身近にもあるけど、人の命や健康に直接関わるものだね。
「そうですね。だから、製薬業界にはガイドラインとか準拠しなきゃいけない規定が山ほどある。それをちゃんと把握したうえで、技術の面でも最先端の情報をお客さんに提供しながら仕事をする。それが、結果として多くの患者さんへの貢献にもつながる訳で。」
―やり甲斐があるね。
「もちろん、やり甲斐や面白さがあります。社内の人たちとは仲がよくて楽しいんですけど、仕事では社外の人とプロジェクトチームを作る面白さがありますね。『何十億円のプロジェクト案件が通りました。つきましては“後宮組”になってください』と。そこで『後宮さんと働きたくない』と言われたら、自分が最高と信じるものを提案すら出来ない。結局大事なのは人間味だと思ってます。楽しいっていうことは、ストレスがないっていうこと。ストレスがないっていう状態は、ミスが少ないから実現できる。僕がミスばっかりしてたら、楽しいと感じて働いてもらえない。お客様のニーズに応える実力があればこそ、楽しさも生まれる。かつ、僕のこの人柄ですね。『どうせ同じお金を使うんなら、僕と一緒にいた方が楽しくないですか、お客さん?』ってね(笑)。」
―自分で言っちゃうからね(笑)。
「ある種傲慢なこのビッグマウス(笑)。『根拠のない自信満々』とか『適度なバカ』とか、いろいろ言われますけどね(笑)。」
―全部いい意味なんだろうけどね。
どうやら、嗣くんならではの〝人を楽しませる〟コミュニケーション能力は、商社マンとしての仕事の中でも充分生かされているようです。
―実は、ご両親にお話しを伺ったことがあって、お父さんいわく、息子は元々は人と関わることが得意ではなかったとおっしゃって、意外な感じがしたんだけどね。
「そうですね。かつての僕は、ひととの距離感や関わり方がわかってなかったから、自己表現の仕方にも軸がなかった。小中学生の頃は人格的に不安定だったと思いますね。自分が目標とする人間像と現実の自分とがかけ離れていた。毎週日曜日に父が牧師として人の前に立って話をする姿を幼少の頃から見ていますから、子どもながらに自分のしたい事が、父親の真似事になるんですよ。自分もそうなりたい、周りから認められたいと望む訳ですけど、そこにギャップがあった。小学校で、意を決して学級委員長に立候補した事があったけど、ボコボコに落選。そんな経験もして、じゃあどうやったらこいつらの仲間として認めてもらえるのか、子どもなりの考えでいろんな表現を試みた結果、中学に入ってからは怒ったり強い態度に出る事で相手の反応が変わる事に気づいた。これだなっていう気持ちになっていった。でも、今振り返ると、友人関係は不安定。常にもめて(笑)。『こいつらとはもうダメだ』って、隣の中学校のグループとつるむようになって、そこでまたもめて、今度は隣の市の中学校の奴らと絡んでまたもめてと。そんな繰り返しで、結局ずっと一緒にいた仲間っていうのが一人もいない。そういう意味では、寂しい中学時代でしたね。」
最初の高校は一年の途中で退学。その後、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた嗣くんでしたが、たまたま知り合った先輩が北星余市高校の3年生だった事が転機となりました。一緒に遊び、語り合ううちに「この先輩が時々話してくれる北星余市でなら、自分もやり直せるんじゃないか。」と意識し始め、やがて入学決意に至ったのです。
―1年ダブって北星余市に入った訳だけど、すぐに何もかもうまくいった訳ではないよね。
「もう思い出せないくらい失敗もしたと思いますけどね。でも、あの学校はやり直しをたっぷりさせてくれる。先輩の姿という目標もあって、わかりやすい。そこには腕力や暴力支配とは違う世界があって、2年生くらいからですね、この暇な3年間を(笑)楽しく堕落せずにどう過ごしていくかっていうところに、皆の意識が集中していく。その時に、僕の役割は何だろうって考える事で、自分という人間が確立されていった気がしますね。生徒会長もやらせてもらいましたけど、自分のベースには『人と楽しく過ごしたい』っていうのがあるんですよ。」
―卒業式では生徒代表として、兜を被って答辞を読んだ。結構本格的な鎧兜だったんだよね。
「大河ドラマと同じやつですから、重いんですよ。まぁ単純に今まで誰もやってない事をやりたいなっていう発想ですよ。そこまで深い意味はないんだけど、最後は『皆の者、出陣じゃぁ!』とかね(笑)。」
―洋平くんとのコンビネーションがよかったっていう話もよく聞くね。読み終わった答辞を投げて、それを洋平くんが忍者のように鮮やかにキャッチするっていう。
「あれは、投げる側と受け取る側の両方のスキルが求められる。練習ではすべて失敗してたんですよ。10メートルくらいあるから、投げる度にまた巻き直すのもすごく大変で、5回くらいしか練習してない。もういい、本番で決めようって。」
―本番ではバッチリ成功(笑)。
「ああいう事をやらせてくれる雰囲気があるんですよね、あの学校には。」
―北星余市で得たものって何だろう。
「今の仕事と北星での経験とで、共通点は何かといえば、同じ目的に皆を向かわせるための立ち回りを自分がさせてもらっている。異なる意見を持つ人も排除せず、会社の垣根を越えたチームとして、トラブルも解決しながら進んでいきましょうと。そういう姿勢が、あるべき姿なんだと教えてくれた成功体験を遡ると、北星余市に行きつく。あそこで失敗もしながら学んだ事が、今生きてるんだと思いますね。大学時代、海外ボランティアの代表として活動できたのも、北星で身につけたものがあったからです。」
大学では、米国に本拠地を置く『Habitat For Humamity』というNGO団体の学生支部に所属。貧困から抜け出すための支援として、家を建てる活動を展開する団体です。そこで嗣くんが提案したのが、家を建てて終わりではなく長期的な維持を考える事。現地の人たちの経済的自立のため、女性たちにミシンを提供して、ソーイング製品を日本で販売し、収益を還元するという事業を立ち上げ、自身がリーダーとして活動しました。
一方、ほぼ時を同じくして発生したリーマンショックの影響により、国内の就職戦線は非常に厳しい状況となっていました。そんな中でも嗣くんは次々と内定を獲得。特に面接において抜群の強みを発揮したのだといいます。
―お父さんの話に戻るけど、元々は人と関わるのが苦手だった息子だと。しかし、現在は自分より数段上のレベル。尊敬に値するって。
「その通りです、なんてね(笑)。」
―すぐ言うね(笑)
「僕なんかは木に登ったら降りてこないタイプなんで(笑)。でもまぁ、不安定な時期から北星余市である種の自信を得ていく過程で、それまで見せる事のなかった姿を親に見せられるようになったり、そういう事を通して、親が一番近くで僕の紆余曲折を見ていてくれましたから。そう言ってくれる言葉は、支えになりますね。仕事で思い通りにいかない事もありますけど、父親なんかにそういう話をすると『大丈夫じゃないかな』って言われるだけで、『よし、やってやろう』って思える。何を根拠に言ってるのかわかんないけど(笑)。」
―奥さんにも仕事の話はする?
「極力しないようにしてますね。自分がサポートしなきゃって心配してくれる性格の人だから、余計にね。でも、帰る場所があるっていうのが本当に大きいんですよ。妻がいて子どもがいて。」
―娘さん元気?
「元気元気。もう、めっちゃ可愛い(笑)。英才教育真っ只中ですね。AとかBとかもわかる。まだ1歳半ですよぉ!」
―日本語もまだでしょ?
「そう、だから『パチパチして』って言ってもわかんないのに『Clap your hands』って言ったら手を叩く。」
―さすが、お父さんの血を引いてる。
「僕はしゃべれませんけど(笑)。」
―これからの抱負は?
「僕、平日の半分以上は出張で都内にいないんですよ。加えて土日は関係先との付き合いもあって、あまり家にいない。そんなペースで、これまでアドレナリンをドバドバ出しながら仕事してきてますけど、家族との時間も大切にしないといけないという事にも気づいていて、1年くらい前から働き方改革を進めているところです。
それと、子どもが出来てあらためて思うのは、教育が人に与える影響の大きさですね。もちろん、自分自身の人生を振り返った時にも、教育というものに非常に影響を受けたんだと気づく。そういうものに恩返し出来たり、人にいい影響を与えられる生き方がしたいという思いもあります。今の仕事でも人と関わってはいますし、製品という形で世の中に出ていく時には凄い広がりがある。ただ、直接関わる人は限られているし、時間も決して多くはない。それだけに、心と心で人と付き合う時間を大切にしたい。というより、もっと欲しいんですよ(笑)。」
―まだまだ目標があるんだね。今日は忙しいところ、ありがとう。
インタビューの翌年4月、嗣くんが活動拠点を京都に移した事がわかりました。同志社大学神学研究科に合格し、新たな学びを始めているというのです。彼の未来に、何か大きな変化が訪れる予感。それがどんな道であったとしても、「人と楽しく過ごす」という彼のベースがブレる事はないでしょう。