別れとアート

2019.02.20 コラム

写真家

辻田美穂子

MIHOKO TSUJITA

先日恋人との別れがモチーフになった写真展を見た。3ヶ月間別々に過ごしているうちに、彼に好きな人ができて作者は振られてしまうのだ。それも、電話で。

そのシナリオは最悪だった。パリと日本で別々に暮らした3ヶ月間が終わったら、彼女たちはインドで再会するはずだった。 30年ほど前のできごとで、今みたいにネ ットで簡単に連絡がとりあえるわけもない。会場には、胸が張り裂ける思いでやりすごした日々の写真や、再会を待ちわびる思いがつづられた手紙が飾られていた。ところが約束の日、彼はインドに来なかった。代わりに届いたのは「事故にあった。病院にいる。連絡されし」という短い手紙のみ。慣れない土地でパニック状態に陥ったまま、かけ続けた電話が繋がったのは、何時間も経 ってからだった。そして彼女は信じられない事実を聞いて頭が真っ白になる。彼はささいな怪我で病院に寄っただけで、出かけられないための言い訳をしていたのだった。なぜなら、他に好きな人ができたから。

嘘。裏切り。耐えがたい苦痛からどうにか逃れるために、作者は自分の悲しみを人に話し始めた。そして代わりに、その人たちからも一番辛い経験の話を聞いていった。恋人が自ら死を選んでしまったという話。いつも通り朝家を出た兄弟が、二度と帰らぬ人にな ってしまったという話。母親の何気ない行動で心に一生の傷をおってしまったという話。展示に出てくる誰もが、冷たくて重い悲しみの氷をふところに抱えたまま、それでもなんとか自分の体温でゆっくり溶かしながら生きているようだった。作者は自分が語った経験と相手から聞いた話を文章にした。悲しみは文字の羅列になった。その羅列は数十年の時を経て、いま美術館の壁に飾られている。

つまり、作者は悲しみを「アート」にした。アートって、心にゆとりのある人や学校で勉強した人だけが「たしなむ」ものじゃない。美しいと思ったことを表現するのもアート。でも、誰にでもできる、どうにもできない気持ちの処理方法でもある。アートって、意外と余裕じゃない。結構ぎりぎりのところから生まれている。もうだめだ、倒れそうだ、と思った時に、悲しみを一度自分のふところから出してみる。写真や、歌や、絵や、文章。とにかくなんでもいい。人に見せなくてもいい。すぐには解決しないけれど、ふしぎとからだが軽くなったりすることがある。

文・写真 辻田美穂子

 

プロフィール

辻田美穂子 | MIHOKO TSUJITA

大阪出身の写真家。祖母の生まれ故郷である「樺太」のリサーチのため、ちょっと札幌に来てみたら、すっかり居心地よくなってしまい気づくと北海道6年目。やりたいことがたくさんあって、人生足りるか心配。

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