北星余市を紹介、生き方を考えるウェブマガジン
日本キリスト教団北海教区幹事
小西 陽祐
YOSUKE KONISHI
小学5年生のある日、「おねしょ」をした。濡れたマットレスをストーブの前で乾かした。そこへ、運の悪いことに突然の来客。お客は言った「布団を洗って干しているの?」。すかさず、当時5歳の妹が一言、「兄ちゃんがおねしょした」。その瞬間、わたしは叫んだ。「何言ってんねん、おまえがしたんやろ!」。あまりの恥ずかしさにわたしは思わず5歳の妹にすべてを擦り付け、「嘘」をついたのだ。今でもその時のことを思い出すと心の中にザラっとしたものを感じる。
旧約聖書の創世記に出てくるアダムとエバをめぐる物語をご存じだろうか。アダムとエバは、神から「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と言われていた。それにもかかわらず、蛇に食べても大丈夫だと言われてエバが実を食べ、アダムも食べてしまった。アダムとエバの子ども兄カインは、神が弟アベルを贔屓していると感じ腹を立てた。そして、弟を殺し土に埋めた。神からアベルの居場所を聞かれたカインは「知りません」と「嘘」をついた。アダムやエバ、カインの「嘘」は神に見破られてしまう。こうしてみると人間は生まれた時から、都合が悪くなると隠したり、「嘘」をついてしまう生き物なのかもしれない。
けれども、住んでいた「エデンの園」を追放されたアダムとエバ、呪われる者となったカインも不思議なことに神から完全には見放されず、人生をやり直す道が与えられた。もちろん、心の中に時々感じるザラつきは一生消えなかっただろうと思う。
わたしたち人間は、人の命を奪うような「嘘」をつくことはするべきではないだろうし、もし大きな過ちを犯したなら社会的な責任をとることを求められる。けれども、だからといって「嘘」をついた人や過ちを犯した人の人格すべてが否定される必要はないはずだ。やり直す道があってよいのではないか? もちろん、「したこと」が帳消しにはならないし、心のザラつきは消えないだろう。それでも、やり直すことに寛容な社会、わたしでありたい。
文・写真:小西陽祐
小西陽祐 | Yosuke Konishi
大阪生まれの40歳。2018年3月で余市教会牧師・リタ幼稚園園長を辞任し、4月から日本キリスト教団北海教区幹事として働く。今も北星余市の卒業生がたまに家に遊びに来てくれ、電話もくれるので、実はとても嬉しいです!