約束の意味

2021.03.06 コラム

思春期保健相談士・省エネ系ユースワーカー

國兼淳

JUN KUNIKANE

最近(とはいえ、1年以上前だけど……)、長く生活をともにしてきた11歳年上のパートナーと別れた。「未届」の事実婚関係だったので記録には残らないが、実質、私はバツイチになる。北星余市を卒業し、大学生になってすぐに出会い、しばらくは師弟のような関係から、恋人同士になった。18歳で出会い、21歳~ 28歳の8年間ともにいた。もう10年以上の関係になる。北星余市を出たあと、生きるのが辛かった。その日々を知り、私を引っ張り上げ、叱咤激励をし、そばに居て幸せを願い続けてくれた。出会わなければ、私は生きていなかっただろう。その人が私の20代「そのもの」である。

2人の生活は話し合いの日々だった。「家を出たら最低一通はメッセージを送ってくること」という関係を維持するための取り決めから「家の消耗品のストックを把握しておくこと」という生活のあれこれまで多くのことを2人で決め、たくさんの約束をした。何よりもお互いに大切にしていたことは「最後まで話し合いをやめないこと」である。ケンカをしても次の日に引きずらないためにその日のうちに解決する。関係をなるべく長く続けていくために、そう約束していた。それでも人との関係には終わりが来る。たくさん話し合い、多くを取り決め、数多の気遣いをお互いにしていても、すれ違いや納得し合えないことが増え、別々に暮らすことになった。「別れ」を切り出したのは私からだった。約束とは持続させ続けてこそ意味がある。20代も終盤に差し掛かった時、パートナーとして一番大切な「約束」は永遠に続くことなく終わりを迎えたのだった。私は現在、新しい場所で生活をはじめている。大変だけれど悪くない毎日だ。この10年間は「幸せになってほしい」と心から願われ続けた時間だった。その日々を離れて1年、新生活のなかで心に決めたことを記しておこうと思う。これからの10年間「幸福であり続けられるよう努力する」とここに約束しよう。

文・写真:國兼淳

 

プロフィール

國兼淳 | Jun Kunikane

42期卒。京都精華大学でジェンダーを学び、児童自立支援施設で働く。現在は京都の若者育成の現場でへらへらと援助屋をやりながら、対話についてむにゃむにゃ考えるひと。
思春期保健相談士。省エネ系ユースワーカー。

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