悲しいのに
涙が出ない

2021.12.13 コラム

「学ぶと生きるをデザインする」学校づくりを目指す

藤田美保

MIHO FUJITA

けがをして痛かったとき、思い通りにならずに腹が立ったとき、ペットが死んで悲しかったとき、ワアワアと泣いていた幼い日の私にとって、涙とは「自己主張の手段」だった気がする。今から思えば、赤ちゃんだったときに自然と獲得した方法だったのだろう。

涙が「感動や感謝が心に溢れたときにも出る」と知ったのは、中学3年生のときだった。3年間ほぼ休みもなく部活動(バドミントン)をし、県大会優勝と東海大会出場を目指してきた。結果は準優勝だったが、順位決定戦でシャトルが相手コートに落ち、東海大会出場が決まった瞬間、涙が溢れ出た。「人って、うれしいときも泣くんだ」と初めて知った。 それからつらいこともうれしいこともたくさんあり、そのたびにいろんな涙を流してきたが、「悲しいのに涙が出ない」というデキゴトが起きた。ある日突然、18歳の娘が大病で倒れ、生命が危うい、命が助かっても重度障害が残る可能性があると告げられ、リスクの高い心臓の緊急手術を受けることになった。ものすごいデキゴトに直面し、とても悲しいはずなのに、涙が一滴も出ず泣くことができなかった……。そのとき「涙が出るって、泣ける余裕があるときなんだ」と初めてわかった。

起きたデキゴトも自分の感情も処理できないまま時間だけが過ぎていったが、周囲の人に伝えないわけにはいかず、思いつく順番に連絡をしていった。私の母に電話したときのこと。仰天してすごく取り乱すだろうと思ったが、予想に反して驚くほど落ち着いていて、「まだ死んでないなら大丈夫。今の医学は進歩している。若い子の脳梗塞なんか治る。今回のことは私らにとっても、○○(娘)にとっても勉強や」という言葉が返ってきた。今までの人生で経験したことのない壮絶なデキゴトであっても、それぞれがそこから学ぶしかないんだと教えられたとき、涙が次から次へと流れ落ち、私は声を上げて泣いた。

文・写真:藤田美保

 

プロフィール

藤田美保 | Miho Fujita

『窓ぎわのトットちゃん』を読み、トモエ学園のような学校に行きたいと願うも叶わず、公立小学校の教員になるが3年で退職。仲間とともに「子どもが学びの主人公」となり、「学ぶと生きるをデザインする」学校づくりを目指す。

 

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