北星余市を紹介、生き方を考えるウェブマガジン
HASSYADAI social代表
勝山恵一
KEIICHI KATSUYAMA
私は1年に1回、必ずある恩師に向けて手紙を書きます。18歳の頃から毎年書いています。その恩師は、私の人生を大きく変えてくれた人です。恩師に向けて、毎年、その人に伝えたいことを手紙にしています。
16歳の時、私は学校生活でのトラブルで高校を中退しました。高校球児として頑張っていたのですが、中退後は、未来への希望を無くし、ただボーっと過ごす日々が続きました。そんな時、当時付き合っていた彼女が働いていた飲食店に、ふらっとごはんを食べにいきました。そのお店の大将から「お前、毎日フラフラしてるらしいな~。暇なら面倒見たるから明日から働かんか?」と声を掛けられました。飲食店で働いた経験はなかったのですが、大将の人柄やお店の雰囲気が気に入り、勢いで「明日から働かせてください」とお願いし、働かせてもらうことが決まりました。その日から、大将は経験も知識もない生意気な自分を受け入れて面倒を見てくれ、大将には本当にたくさんのことを教えていただきました。
働き始めて数年経った頃、ある出来事が起こりました。その夜店が終わると、大将はいつも通り「また明日な!」と元気に声を掛けてくださいました。疲れていても、そんな大将の言葉のおかげで「明日も頑張るで~」と思うことができました。しかしその日、別れた直後に大将は亡くなりました。くも膜下出血でした。話を聞いた時、全く信じることができませんでした。突然の出来事だったため、お葬式はご親族だけで行われることになり、私は最後のお別れをすることができませんでした。大将に伝えたいこと、恩返ししたいことがたくさんあるのに、どうすることもできず、ただ呆然としていました。知らせを聞いた夜、私は大将の親戚に「大将に想いを伝えたい、大将のお墓に手紙を添えたい」と電話をしました。文字を書くのは苦手だし、漢字も全然書けない自分でした。でも、とにかく涙を流しながら、ただひたすらに大将へ感謝の想いを書き続けたことを今も覚えています。大将に自分の想いが届いたかどうかはわかりません。でも、あの時書いてよかったと心から思っています。
あれから毎年、天国にいる大将に向けて手紙を書いています。手紙を書いていると、当時の感情や感謝がふつふつと湧き上がってきます。手紙を書く行為を通して、大将を始めとした、たくさんの方々に支えられて、今の自分がいると改めて気づくことができます。大切な人へ手紙を書くのは恥ずかしいし、面倒くさいかもしれません。でも、手紙を書くことは、自分自身を振り返り、周りへの感謝の心や忘れかけていた感情などに気がつくことができると私は思っています。ぜひ、大切な人に向けて手紙を書いてみてください。できれば、その人に手紙が届くうちに、書いてみてください。
文:勝山恵一
勝山恵一 | Keiichi Katsuyama
1995年京都出身。HASSYADAI.socialを立ち上げ、全国の高校でキャリア教育プログラムを実施。そのほか、少年院、児童養護施設、法人向けと若者たちに自分の人生を選択するきっかけを提供。そして3姉妹の父!