北星余市を紹介、生き方を考えるウェブマガジン
ナニワの兄ちゃん教師/42 期・2009年4月卒
杉村 廉
REN SUGIMURA
すぎむら れん
1990 年 6 月生まれ 兵庫県出身。
2006 年 北星余市高校に入学。 2009 年 明治学院大学に進学。在学中に教職員免許取得。 2014 年 YMCA 教員。 2015 年 大阪技能専門学校に転籍。 現在に至る。
数年前まで関東の大学に通い、東京の教育相談会にも駆けつけて印象に残るスピーチをしてくれた杉村廉くん。彼が今、大阪で教員をしていると知り、是非話を聞きたくなって申し込んだインタビュー。それが実現したのは 2017年5月13日、彼が住む大阪府長居町のファミリーレストランでした。
(聞き手・PTA白土隆)
卒業生キラ星インタビュー
―自宅はこの近くだと聞いたけど、学校は?
「岸和田です。通勤は電車と徒歩で計1時間くらいですね。」
―岸和田といえば「だんじり」が有名だよね。
「岸和田の子どもたちは小さい頃からだんじりを引くことにあこがれがあって、そこにかけてる想いがすごいです。うちの学校やんちゃな子が多いんで、熱中しますね。」
―エネルギーが発散されていいのでは?
「まぁそういう面もあるかもしれないですけど、だんじりの時期になると、みんな学校に来なくなるんですよ。夜遅くまで準備や手伝いで、朝来れないっていう。そういう子たちの気持ちは、 人一倍わかるつもりですけどね(笑)。」
―今の学校での役割は?
「3年連続、ずっと1年生の担任です。この4月からは生徒指導の役割も担っています。」
―校則は?髪の色とか。
「髪色は自由です。けっこう暗黙の了解的なところもあって、問題行動ひとつとっても、疑わし い所があっても、直接現場をはっきり見なければなかなか指導は入れられない。その代わり、生徒を信頼してだまされることもありますが、基本的に『未然に防ぐ』をモットーにしています。 授業がない時は校内を巡回してます。職員室で机に向かって仕事をする時間がない。朝早くから 授業準備やクラスの仕事をしておかないと、1日のスケジュールが回らないです。放課後も下校指導といって、原付で駅まで行くんですよ。JRの職員の方もよくわかっておられて、改札も顔パスで入れてくださって(笑)。生徒が完全に電車に乗ったのを見届けて戻って来る。うちの学校は、中学でやんちゃして他に行くところがないとか、引きこもったり、ドロップアウトした子が多く来ます。土地柄っていうのもあると思うんですけど、古いタイプのやんちゃが多いかな?。 昔の自分を見ているような気持ちになることもありますね。」
今向き合っているやんちゃな子たちが、かつての自分自身と重なるのだと言う廉くん。中学時 代の彼は、教師への強い不信感を抱いていました。
「例えば、先生が生徒に手をあげるのは問題にならないのに、生徒が先生に逆らうと、殴ったと いうほどでもないのに手を出したと言って警察を呼ぶ。おかしい、納得がいかないっていう想い がずっと残りましたね。同じように学校に入れてもらえない仲間とつるんで、夜遊びするようになりました。学校にも家庭にも居場所がなかったから、希望もなかったし、未来が見えなかった。 心の中は、いつも虚しかった。」
―その状態から、やがて北星余市入学につながっていくんだね。
「中学3年で神戸の少年鑑別所に入って、1ヶ月で出て半年間の試験観察。そして、少年院か施設送りか?となったんです。北星余市高校入学を決めたのは、その審判での印象をよくするため でした。入ってもすぐ辞めたろうって思ってましたね。」
―実際に入学してみたら、どうだった?
「実際に北星余市に入ったら、自分と同じような子もいっぱいいて、共鳴する訳ですよ。卒業式を見たり、先輩たちと関わりを持っていく中で、『あ、本当に変わっていけるんだ』って、希望 を近くで見せてもらえるんですね。ただ、そこまでいくには時間もかかる。入学してすぐの頃は 好き放題に振る舞って、問題も起こしてました。」
―謹慎にも入った?
「はい。1年生で自宅謹慎になったんですけど、北海道まで来て先生に謝っていた父親が『家には帰せない』って言い出したんです。父親とは、長い事二人暮らしでした。私がグレて家庭内でも暴れていたから、母親が弟を連れて出て行った。それでも自分と一緒に居てくれた、その父親からもとうとう拒否されたんだと感じて、何とも言えない辛い気持ちになりました。その時、やっさん(安河内先生)が『お父さん、もう一度廉のことを信じてやってください。』と言って頭を下げてくれたんです。こんな自分みたいなクズのことを信じてくれる教師がいるんだ、と涙が込み上げてくるのを抑えられませんでした。中学の時からの教師不信という病気が、あの瞬間癒されるのを感じましたね。今教師になって、生徒に『信じてるよ』っていう言葉を投げかけている自分に気づくことがあります。あの時のやっさんのように、自分も生徒を信じられる教師でありたいという願いがあります。中学の時から疑われ、何か起きれば犯人扱いされてきたような子 が本当に多いですから。『俺は信じる』って言い切って、その後何回裏切られても信じようとす る姿勢が、自然に身に付いていますね。」
憧れの先輩たちや、信頼できる大人としての教師との出会いを経験した廉くんは、同級生たちとも、それまで想像出来なかったような関係を構築していきます。
「最初は舐められたくないから自分を大きく見せようとして虚勢を張る一方で、大人しい子たちのことは『なんでこいつら来てるんだ?』って見下す気持ちがあった。すぐ先生に言いつけに行くし(笑)、なんでやねんって。そういう子たちとも、行事を通して仲間になっていけるんですよね。実は、私は学園祭の合唱で3年間指揮者だったんですよ。やっぱり皆に声を出してほしいじゃないですか。それで、1年生の時は脅してたんです(笑)。『歌わんかったら殺すぞ』って、 完全に逆効果(笑)。萎縮しちゃって声なんか出る訳ない(笑)。とにかく自分に原因があったんだと反省して、2年生の時は相手と同じ視点からお願いするようになったんです。そうしたら、 皆で一緒に頑張ろうっていう雰囲気になってくれて、入賞した時は本当に充実感がありました。 結局やんちゃしようが引きこもっていようが、同じようにもがき苦しんで来たっていう経験は一 緒なんだとわかり合えていく。心の叫びとか訴えたいことの表れ方が違うだけなんですよね。」
―教会に通うようにもなったんだよね?。やっさん夫妻が、廉くんと教会に行くのを楽しみにし てたって聞いたことがあるよ。
「父親がクリスチャンで、『小樽にいい教会があるぞ』って言ってましたけど、そんなん行かんわって気にもしてなかったんです。それがある日、急にちょっと行ってみようかなって、気が向いたんですよ。自分でも不思議です。で、いざ行くとなんか、こっぱずかしい(笑)。前の方にやっさんいますし。『あ、ほんまにおるやん』って(笑)。だから、礼拝が始まってから入って、 終わるちょっと前に帰る、みたいな(笑)。でも、ある時気づかれて『おおぉぉぉー!』って、 かなり驚かれましたね。私が教会に通っていたことで、寮の仲間もみんな一緒に行ってたんですよ。やっさん夫妻が迎えに来てくれて。大学時代は横浜にいましたけど、同じ寮だった仲間が遊びに来ると、一緒に教会に行ったりしてましたね。振り返ると、苦しい時に教会や教会の人たちが支えになってくれた局面もありました。もちろん今も、日曜日は教会に通ってます。」
―教師を目指すきっかけは?
「高校の時フィリピンに行ったのがきっかけで、国際貢献的なことをしたいという想いもあったので、大学1年の時にはカンボジアにも行きました。そこでいろいろ勉強する中で、自分たちが あたりまえのように日常生活をしているだけで、貧困が生まれることにつながるという経済のシステムが見えて来た。驚くほど安く便利に買い物が出来る、その裏では大変な労働環境で安い賃 金で働いている人もいます。その国の労働環境をどうにかしたいと想いながら、その種をまいていたのが実は自分たちだったと気づいて、途方にくれたことがあったんです。それでも、フィリ ピンやカンボジアでは、貧しいながらも人間としての豊かさや心っていうのはずっと残っていると感じられた。日本の方が逆に心が貧しいんじゃないかって、自分の国にも問題山積してるやん って思えたんです。」
―まずは自分の足元からっていうことだね?
「そうですね。それで、大学時代に教員免許を取得しました。大学を出て1年間は横浜の教会の スタッフをしていましたが、その後大阪で教員になりました。YMCAの高校だったんですけど、 やっぱり自分はやんちゃな子たちの相手をしたいんですっていうことを管理職の人に漏らして たら、紹介してくれたのが今の学校。生活保護の対象になっている家庭の子がすごく多くて、授業料も9割くらい無償なんです。ネグレクト的な家庭もあるし、家庭が機能していないなって感 じることも度々ある。そういう環境で育った子が大人になった時、また同じような家庭を作って しまうという負の連鎖があると思います。余市みたいに、まったくその環境を変えてやり直すな らまだしも、うちの子たちは学校でいくら教えたり向き合ったとしても、帰るところが壊れた家 庭だとしたら難しいですよね。大きな課題です。」
―子どもたちと接するうえで心がけていることは?
「基本的には、生徒たちと真正面から向き合います。だめなことをした時は本気で怒りますし、 ちょっとでもいいことをしたらめちゃくちゃ褒める(笑)。私自身が北星余市でそうしてもらっ た経験がありますから。例えば、北星余市って先生を呼び捨てしたりするじゃないですか。『や っさん』とか『あけみぃ』とか言ってましたけど、今私のことを生徒たちが『れん』とか呼んで ます(笑)。ちょっと生徒との間が近過ぎるって注意されることもありますけどね(笑)。友だち と違うんだからって。もちろん、いろんな考え方があるとは思うんですけど、私の場合はまずは その距離感で、徐々に理解し合っていければいい、何でも話せる兄ちゃんっていう感じでいいか なって思うんですよ。もしかしたら北星の先生以上に自分から行っちゃってるかもしれないです けどね。『先生、絡み濃いわ』って言われたりしますし(笑)。 あと、家庭訪問は、やんちゃな子より大人しい子を中心にするように意識していますね。やん ちゃな子って問題起こすから、否応なく向き合う機会が多くなりますし、保護者とも頻繁に連絡 を取り合うようになる。大人しい子たちは、普段はやんちゃな子に隠れてよく見えなくなってし まいがちですから。」
―あらためて、廉くんにとって北星余市とは?
「北星余市は、自分を変えて方向転換させてくれたところです。卒業式で、先輩や先生や仲間と 抱き合って泣けるなんて、あんな幸せな時間があるなんて、物心ついてから北星余市に入るまで の人生では想像もできないことでした。自分はまだまだ未熟ですけど、自分の過去を話すことで、 本当に人は変われるということを知ってもらいたいと思っています。『教師なんか信じられるか』 みたいなことを言う子も多いですから、『俺もそう感じてたで、俺もパクられてるし』みたいな (笑)。まぁ、言っていいのかどうかは時と場合によってですね。その子がいい方向に行くきっ かけになり得るなら。」
―これからの抱負は?
「北星余市みたいな学校を作りたいという想いが、心のどこかにあります。もちろん現時点では 夢ですけど。今は、自分に与えられている目の前の子どもたちに一生懸命になれて、それを継続 していけることが一番の願いですね。子どもたちのことで苦労はしますけど、元気をくれるのも また教え子たち。去年面倒を見た1年生が今2年生になって、『先生、最近疲れてない?』とか 『ちゃんと休み取らないとだめだよ』とかメールをくれる。本当に嬉しくて癒されますよね。」
―今日は時間を取ってくれて、本当にありがとう。
インタビューの翌日は日曜日。廉くんが毎週通っている教会を訪ねました。とても明るい雰囲 気の教会。礼拝前のひととき、そこに集う子どもたちとレクリェーションに興じる彼の姿が見ら れました。みんな楽しそう。高校時代、ボランティア委員会のメンバーとして老人ホームや幼稚 園の慰問に熱心に参加していたという、優しい廉くん。今関わっている生徒たちはもちろん、小さな子どもたちにとっても、彼はお兄ちゃんのような存在なのでしょう。教会という空間でリフ レッシュして、月曜日からはまた多忙な日常に向かう廉くん。これからもガンバレ!」